2021/06/13
Atelier Bosque - Photo affair: 久しぶりに投稿。改めて写真について思うコト2021
Atelier Bosque - Photo affair: 久しぶりに投稿。改めて写真について思うコト2021: 気持ちにゆとりがあって、じっくりその場を味わい、瑞々しく残したいと思う時はカメラでないと、勿体ないなあと思う場面もあるけれど、限られた時間で気分転換に出掛け、心に浮かぶ情感・情景を残しておこうという瞬間は、iPhoneの方がそつなく歩留まりよくこなしてくれる。(そつなくどころ...
久しぶりに投稿。改めて写真について思うコト2021
気持ちにゆとりがあって、じっくりその場を味わい、瑞々しく残したいと思う時はカメラでないと、勿体ないなあと思う場面もあるけれど、限られた時間で気分転換に出掛け、心に浮かぶ情感・情景を残しておこうという瞬間は、iPhoneの方がそつなく歩留まりよくこなしてくれる。(そつなくどころか、カメラより新しい技術を駆使して一枚の写真を生成する一面もある。)
あくまでカメラは道具。
道具を楽しむのも一興だが、
そこを深めたいならいざ知らず、素敵な時を過ごした記憶として写真を楽しむ時は、結果が全てだと僕は思う。
結果とは、映える画像でも、強いプリント作品でもない。体験者自身の感動だ
そこを深めたいならいざ知らず、素敵な時を過ごした記憶として写真を楽しむ時は、結果が全てだと僕は思う。
結果とは、映える画像でも、強いプリント作品でもない。体験者自身の感動だ
カメラは手段〜目的ではない。
残したいのは、「気持ち」もしくは、「僕自身のraison d'être」そのとき何を感じたか。。
上手に撮るとか、鑑賞者を意識し写す事に意識が行ってしまうと、
残したいのは、「気持ち」もしくは、「僕自身のraison d'être」そのとき何を感じたか。。
上手に撮るとか、鑑賞者を意識し写す事に意識が行ってしまうと、
後で見直した時に得られる喜びは、写真生成に引きずられた官能性の浅薄なものになる。
と、今は感じるようになった。 何のため誰がために撮るのか? ということ。
と、今は感じるようになった。 何のため誰がために撮るのか? ということ。
気持ちの鮮度が伝わる写真に機材や画質の良し悪しは関係ない。
もし、そういった要素が最重要であるならば、過去の大家の傑作は画質的に劣ったものだし、同じ今を撮るアマチュア写真も高いカメラで撮った物を優れた作品と言うようなものだ。(そのようなことは断じてあり得ない)
その瞬間に気付き感じ、シャッターを押すだけでも、得がたい時間を記憶として定着させる、”かけがえの無い行為”そのものだ
極論すれば
本当に大切な瞬間は カメラ遊び、写真遊びなどせずに体験満喫に徹したほうが、鮮度高い記憶が残ると言っても良いのだ。
けれど、写真好きは欲張り。
けれど、写真好きは欲張り。
自分のためだけに、時間と金を躊躇なく捨てる。(苦笑)
何をやっているのかは分かってはいるけれど、日々の些細な感動を、増幅して記憶するための行為として、とっても魅力があるのです。
何をやっているのかは分かってはいるけれど、日々の些細な感動を、増幅して記憶するための行為として、とっても魅力があるのです。
確かに公募展でのドキドキや、賞をもらう喜びや感激も楽しかったし、そこでの交流によって様々な学びもあった。
その時貰った宝物も大事にしながらも、今の気持ちがあるということ。
その時貰った宝物も大事にしながらも、今の気持ちがあるということ。
多分これから先もしかすると、違う感慨を持つ事も、あるかもしれないけれど、それも刻々変化する自分の記録として
振り返って見るのも一興だと思っています。
みんなから教えてもらったのは、「写真は楽しい」ということ、生きていく上で「大事な時間」だということ。
いつも言うように、誕生日の今日も、これからも、息をするように撮り続けていたいと思うのです。
みんなから教えてもらったのは、「写真は楽しい」ということ、生きていく上で「大事な時間」だということ。
いつも言うように、誕生日の今日も、これからも、息をするように撮り続けていたいと思うのです。
2018/09/07
時代は廻る
新しいマウントシステムが誕生したらしい
というわけではないけれど久しぶりカメラ遍歴ふりかえり。
僕が生まれた年にオヤジが買ったキヤノンFXが、カメラ遊びのはじまり。
レンズは50mm標準だけだった。
小六の時オヤジはAE-1を買った。。。実質的には僕のオモチャとなる。
小さな写真プリント一枚あれば、家族や店の人や町内の人といっしょに見ながら楽しめた古き良き時代だった
「適正露出」を機械にゆだねると今まで起きなかった不便が出てくる。
FXではうまく言っていた繋ぎ合わせのパノラマ写真が、AE-1になって上手くいかなくなった。
あの試行錯誤も懐かしい。
大学4年の時、周りには邪道とバカにされながら新宿西口でAE-1をたたき売り、
オリンパスのオートフォーカス付きにした。
その後就職、結婚、子ども誕生。。。。旅行写真やスナップばかりの10年
デジカメはフィルム並みの写真が写るようまでスナップ用で静観した。
この時期はなぜかオリンパスが続いたなあ。。。軽薄短小がカッコイイ時代だからかな
その後時代は廻り、正しくキヤノンに戻って来た。EOS20Dでまた自分のために写真を撮りたくなった。
クラブに入り、写真雑誌やフォトコンに応募、、県展や九州国画会に出展を始め15年、、そして今。
オヤジのお下がりのCONTAXのレンズは、今でも楽しい遊び道具として大事にしてます。
ミラーレス時代の到来
20年くらいしたら若い子が「やっぱ光学ファインダーは新鮮でみずみずしいなあ」とか言い出すんだろうな。(^o^)
「ソ連のレンズが、、、ツアイスが、、、」
その時爺さんの僕はどういう反応をするのだろう?
ほんものの爺ちゃんになったら、PLANNER50 と僕が集めたマニュアルレンズで孫と遊びたい。。。
というわけではないけれど久しぶりカメラ遍歴ふりかえり。
僕が生まれた年にオヤジが買ったキヤノンFXが、カメラ遊びのはじまり。
レンズは50mm標準だけだった。
小六の時オヤジはAE-1を買った。。。実質的には僕のオモチャとなる。
中学になって、ポートレイト撮りたさから親に黙ってお年玉で135mmの単焦点を買った。
それまで撮ったフィルムは近所のカメラ屋さんに出してたけれど、見られるのが恥ずかしいから、ネガは自分で現像をはじめた。
戦場の古い記録写真をジオラマで再現したりもして遊んでいた。
多重露光や、スローシャッターでトリック写真を作っては周りを驚かせるのも楽しい想い出。
今思えば、うちの両親や祖父母は僕に好奇心と抱かせるためにわざと、
ああやって驚いて見せてくれていたのだと思う。
それまで撮ったフィルムは近所のカメラ屋さんに出してたけれど、見られるのが恥ずかしいから、ネガは自分で現像をはじめた。
戦場の古い記録写真をジオラマで再現したりもして遊んでいた。
多重露光や、スローシャッターでトリック写真を作っては周りを驚かせるのも楽しい想い出。
今思えば、うちの両親や祖父母は僕に好奇心と抱かせるためにわざと、
ああやって驚いて見せてくれていたのだと思う。
小さな写真プリント一枚あれば、家族や店の人や町内の人といっしょに見ながら楽しめた古き良き時代だった
「適正露出」を機械にゆだねると今まで起きなかった不便が出てくる。
FXではうまく言っていた繋ぎ合わせのパノラマ写真が、AE-1になって上手くいかなくなった。
あの試行錯誤も懐かしい。
大学4年の時、周りには邪道とバカにされながら新宿西口でAE-1をたたき売り、
オリンパスのオートフォーカス付きにした。
その後就職、結婚、子ども誕生。。。。旅行写真やスナップばかりの10年
デジカメはフィルム並みの写真が写るようまでスナップ用で静観した。
この時期はなぜかオリンパスが続いたなあ。。。軽薄短小がカッコイイ時代だからかな
その後時代は廻り、正しくキヤノンに戻って来た。EOS20Dでまた自分のために写真を撮りたくなった。
クラブに入り、写真雑誌やフォトコンに応募、、県展や九州国画会に出展を始め15年、、そして今。
オヤジのお下がりのCONTAXのレンズは、今でも楽しい遊び道具として大事にしてます。
ミラーレス時代の到来
20年くらいしたら若い子が「やっぱ光学ファインダーは新鮮でみずみずしいなあ」とか言い出すんだろうな。(^o^)
「ソ連のレンズが、、、ツアイスが、、、」
その時爺さんの僕はどういう反応をするのだろう?
ほんものの爺ちゃんになったら、PLANNER50 と僕が集めたマニュアルレンズで孫と遊びたい。。。
2018/02/12
鑑賞という行為には前提が
鑑賞は、どれだけの気づきが湧いてくるか、
思索のきっかけを示唆され深め拡げてくれるかと、
楽しみとか期待とか面白がりを抱いて挑む内発的動機が生じない限り成立しない行為。 批判や粗探しの類とは次元が違うものだと思うが、混同して語るヒトが多いのもゲンジツ
本来鑑賞者本位。正解など無用の行為だが、外に披瀝するとなれば、鑑賞者は言説を鑑賞される立場となるわけで、それなりの覚悟と信念が求められるもの。 自らの発言で自分の地位を危うくしている場面を見かける事もある。
だからといって当たり障りの無い慣用句を羅列しただけの講評なんか増えても意味が無い。 誠実に真摯に感想を交わせる人間的寛容さと信頼がお互いに必要となる。 すべての前提
思索のきっかけを示唆され深め拡げてくれるかと、
楽しみとか期待とか面白がりを抱いて挑む内発的動機が生じない限り成立しない行為。 批判や粗探しの類とは次元が違うものだと思うが、混同して語るヒトが多いのもゲンジツ
本来鑑賞者本位。正解など無用の行為だが、外に披瀝するとなれば、鑑賞者は言説を鑑賞される立場となるわけで、それなりの覚悟と信念が求められるもの。 自らの発言で自分の地位を危うくしている場面を見かける事もある。
だからといって当たり障りの無い慣用句を羅列しただけの講評なんか増えても意味が無い。 誠実に真摯に感想を交わせる人間的寛容さと信頼がお互いに必要となる。 すべての前提
2018/01/02
2018年になりました
2018年の新しい年がはじまりました。
昨年は年初のモットーとはうらはらに、1年通して怒濤の中を流されるような感じで過ごしておりました。
良いコトも良くないコトもありましたが、「禍福はあざなえる縄のごとし」
今はそんな時と思って渡っていきます。
1月2日は吉書はじめ ネットも再開です
昨年は1度もブログ更新していないのに気がつきました。
今年はSNSごとの重量配分を変えていこうと思っています。
今年起きそうなコトがいくつかあります。
ひとつひとつ大切に丁寧に流されないように消化していきます。
2018年もよろしくお願いいたします。
昨年は年初のモットーとはうらはらに、1年通して怒濤の中を流されるような感じで過ごしておりました。
良いコトも良くないコトもありましたが、「禍福はあざなえる縄のごとし」
今はそんな時と思って渡っていきます。
1月2日は吉書はじめ ネットも再開です
昨年は1度もブログ更新していないのに気がつきました。
今年はSNSごとの重量配分を変えていこうと思っています。
今年起きそうなコトがいくつかあります。
ひとつひとつ大切に丁寧に流されないように消化していきます。
2018年もよろしくお願いいたします。
2016/11/26
カメラで呼吸する
野町和嘉さんの【地球巡礼】
五体投地を繰り返し、険峻な岩山カイラス山を登る
この写真集を観た時の衝撃的な記憶が無かったら
昨日映画「ラサへの歩き方」に行かなかったかもしれない。
野町さんの講演を大阪芸大で聞いたのは
もう7、8年くらい前 になる。
あの時、写真を通して様々な人の営み、幸福・豊かさのカタチの多様性を思い知るという主客転倒の体験をした。
敢えてファインダーを介して世界を観る・感じるという行為が、肉眼によるそれとはひと味違って面白いと
感じ始めたきっかけだったように思う。
カメラは、自分の知らない感覚を覚醒するチカラを与えてくれるような気がする。
2016/08/31
写真展行ってきました
い東松照明さんの、新編「太陽の鉛筆」と教え子さん方の連動写真展Reflectionが品川で開催されていました。
現代に続く写真の一潮流を作り上げたような「太陽の鉛筆」です。
偉大なマイルストーンということでしょうね。
ただ、時代の変化、社会感覚の変化も否めません。
昔のゴジラを受けてシン・ゴジラが生まれたように
東松から直々に薫陶を受けた、今を生きる若者たちによる作品群の方は、堂々と瑞々しく存在感を放っていました。
脆く危なっかしいモノも感じますが、そんなもの弾き飛ばす
若さの可能性が溢れています。
表現の仕方、作品、被写体と向き合う姿勢。。。
全て時代とともに変わっていくのでしょうが、写真という表現の面白さは全く色褪せる事なく膨らみ続けているように思えた
よい企画でした。
続けて観た写真展は
公文健太郎さんの「耕す人」
「太陽の鉛筆」の系譜に沿うようなドキュメンタリー性とともに
スナップ視点や、現代の農村問題にも目を向ける社会派視点など
密度の濃い展示でした。
これは僕のツボにハマってしびれました!
幸い作家さんご本人とお話をすることが出来たので
公文さんの人懐っこい話し方所作があって
この作品が生まれたのだろうと納得しました
被写体の表情に嘘が無い。
土の匂いや収穫の喜び、自然の美しさ
人間のDNAに刻まれた原初的感動という部分で
「太陽の鉛筆」と「耕す人」を同時に観られたのは
大変な幸運。。
永く記憶に残る展覧でした。
写真展を終えて
新型の5D4を冷やかして帰りました。
9月の終わりにBS朝日でキヤノンの番組があるようです
前述の公文健太郎さんも出演するようです
見ましょうかね
http://www.bs-asahi.co.jp/Photographers3/
もうすっかり外堀は埋められてしまった感があります。
後はカネの算段だけです(⌒-⌒; )
現代に続く写真の一潮流を作り上げたような「太陽の鉛筆」です。
ただ、時代の変化、社会感覚の変化も否めません。
昔のゴジラを受けてシン・ゴジラが生まれたように
東松から直々に薫陶を受けた、今を生きる若者たちによる作品群の方は、堂々と瑞々しく存在感を放っていました。
脆く危なっかしいモノも感じますが、そんなもの弾き飛ばす
若さの可能性が溢れています。
表現の仕方、作品、被写体と向き合う姿勢。。。
全て時代とともに変わっていくのでしょうが、写真という表現の面白さは全く色褪せる事なく膨らみ続けているように思えた
よい企画でした。
続けて観た写真展は
公文健太郎さんの「耕す人」
「太陽の鉛筆」の系譜に沿うようなドキュメンタリー性とともに
スナップ視点や、現代の農村問題にも目を向ける社会派視点など
密度の濃い展示でした。
これは僕のツボにハマってしびれました!
幸い作家さんご本人とお話をすることが出来たので
公文さんの人懐っこい話し方所作があって
この作品が生まれたのだろうと納得しました
被写体の表情に嘘が無い。
土の匂いや収穫の喜び、自然の美しさ
人間のDNAに刻まれた原初的感動という部分で
「太陽の鉛筆」と「耕す人」を同時に観られたのは
大変な幸運。。
永く記憶に残る展覧でした。
写真展を終えて
新型の5D4を冷やかして帰りました。
9月の終わりにBS朝日でキヤノンの番組があるようです
前述の公文健太郎さんも出演するようです
見ましょうかね
http://www.bs-asahi.co.jp/Photographers3/
後はカネの算段だけです(⌒-⌒; )
2016/02/23
集団幻想交響曲
僕の大テーマに
ちょっとヒントをくれる記事に当たった
「日本的ナルシズムの深層」
日頃感じる
社会全体に漂うアンビバレントな空気の発生源は
実は個人ひとりひとりの「呼気」によるものだという話
なんとも動かしにくい問題に直面すると
「社会」のせいにして分かったような気になってるが
ちっとも解決に向かう様子が無い事って案外多い
「ご無理ごもっとも」的諦念というか
見て見ぬ振りしたフラストレーションを周囲に希釈して撒き散らして、無いものも様に振る舞う場面
そうやってタコツボにハマって行くシーン。。。
あるある。
「情緒的な一体感が損なわれるとしても、それぞれが自律したこころのあり様を目指した方が、大きな意図を共有することが容易になる」
なるほど
厳しいけれど、同意できるなああ
まずはひとりひとり自分でアクションか。
2016/02/10
映画「兵隊やくざ」見てしまった
戦中戦後の昔話の好きなお客さんが
軍隊のデタラメを知りたければコレを見ろと教えてくれた「兵隊やくざシリーズ」
Amazonプライムで3本見た
勝新太郎主演
1965年から全9本 大衆娯楽映画として作られたようだが、一言で言って苦痛。
まったく楽しめなかった。
戦争や軍隊を扱ってるので、別に楽しめなくても良いんだが、
何か感慨や教訓や内省のきっかけみたいな物が得られるのが、
普通の「戦争映画」だと思っていたがコレは違った。
普通の「戦争映画」だと思っていたがコレは違った。
ふつうの「やくざ映画」「任侠もの」の方が100倍マシ!
暴力、不正、搾取、差別
いわゆる従軍慰安婦
いわゆる虐殺
全部入り映画だ
それらデタラメを指摘はしつつも糾弾するでもなく
なんとなく、巻かれながら汚れながら不条理の世の中を、
のらくらたくましく切り抜ける冒険活劇として描いている。。。。ようだ
根底には、敗戦をバネに生きる「決意」は感じる。
戦後日本が歩んだ姿にも、この映画の「決意」が流れているのかもしれない。
のらくらたくましく切り抜ける冒険活劇として描いている。。。。ようだ
根底には、敗戦をバネに生きる「決意」は感じる。
戦後日本が歩んだ姿にも、この映画の「決意」が流れているのかもしれない。
アメリカの戦争映画を観たあとの
気持ちのザラザラとも決定的に違う
こんな不消化感の残る映画は初めてだ
ある意味 の敗北感を覚える
なにに負けたのか?
僕らの
法や常識にすがって生きる
感覚のひ弱さ
という感じ
安心安全の欺瞞
とりあえず今は在るモラルの
薄氷の上を歩いてる様な感覚がある
娯楽映画だから
誇張も脚色もあるだろうが
9本も作られた人気シリーズという事は
それなりに「共感」を呼ぶなにかが有るのだろう。
当時戦後20年
高度経済成長期真っ只中の人たちの心に
コレが受けたのは、痛快な勝新の演技だけでは無いはず。。。
当時の観客は
どういう気持ちでこれを見たんだろう?
この映画
どういう意図で作ったのだろう。。。
かなり複雑な気持ち
彼らに言わせれば
僕がナイーブすぎるのだろうな
「戦争に比べりゃ今の苦労なんて。。。」というのは戦中戦後世代がよく言うフレーズ。
自分のやり場の無いストレスを
自分よりひどい境遇の兵隊に重ねていたのだろうか?
「三丁目の夕日」が日なたの60年代だとすれば
日陰の60年代映画という感じだろうか
全ては僕の勝手な想像だが。。。
本当の所は分からない
生きていくというのはどうしょうもないことが有るという事。
それは頭では分かっている
だけど身体は知らない。
こんな映画を理解出来ないまま
一生を送りたいが
どうも時代は不穏な方向に動いている予感がしてならない
この映画の様な社会が再現しない事を祈りたい
そういうえば
当時の流行歌
「上を向いて歩こう」ってのがあったなあ
なんとも皮肉
なんとも反語的
3月にWOWOWで全作放映あるようです
加入してる方見てみてくれませんか
www.wowow.co.jp/pg_info/wk_new/010247.php
眠れないから
江戸の人情噺 落語を聞いてクーリングダウンしてる。。。
2016/02/07
コーヒーと映画を味わう 夜
LLOYD Coffeeさんで美味しいコーヒー頂いた。
絵になるいいお店が出来たね
長居したくなりそうだ
またごちそうになりに行きます。
コーヒーのあとは
「独裁者と小さな孫」を観た
dokusaisha.jp
政変で混乱した国からの脱出を図る元大統領と孫
全篇緊迫した逃走の中に
ヒトの愚かしさ虚しさが散りばめられて
ザラつく空気で満たされる
極限状況の中でも
人は愚直に自らの信じる「愛」のために生きるしかないのだろう。
執着の虚しさ
正義とか大義とかでさえ脆く儚いものだと
本当に人は自ら気づくことが出来るのだろうか
「憎悪は何も生み出さない」というのは、よく聞きはするけれど
心底実感として言える人は少ない。
心底実感として言える人は少ない。
究極の理不尽を知り乗り、正気を失わず越えったごく一部の人だけが、辿り着ける
諦念なのかもしれないな。。。。
諦念なのかもしれないな。。。。
劇中流れる
ギターと、ヴィソツキーのような渋い声の歌が
東欧っぽい乾いた映像にズバリはまっていた
疲れ果て落ちぶれながらも
大統領の眼が徐々に柔らかくなっていくの感じて
重いテーマを扱った映画だけれど
少し救われる気持ちになって映画館を出られた
いい映画だった
2016/01/26
昨夏のMoTでのバイブレーション再来
いいドキュメンタリーでした。
さらに
山口小夜子像が膨らみました
懐かしい資生堂のCM
化粧品など縁もない僕でも刷り込まれている
ある意味
現代の日本のひとつの「美のカタチ」は
この人が世界に伝えたのかも知れない
刻々変わっていくのだが今もなお底流に彼女が織り込まれて発展しているようにさえ思えます
夭逝された事がなんとも口惜しい
。。。いやいやそれは欲張り
映画全体から
浮かんだのは「共振周波数」
ヒトとコト
ヒトとモノ
ヒトとヒト
ヒトには "X" が必要なんだなという事でした。
映画「氷の花火:山口小夜子」
yamaguchisayoko.com
2016/01/04
移相 2016
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい。
…以って夏目漱石に同じく。
なんとなれば、それが世界だからという事のようだ。
40で不惑には達しなかったが、この10年を振り返れば、なんとなく行手は見えてきた。
早51
この10年で知命を覚りたいもの
人と比べない立ち位置
ヒトを測らない物差しで動くことにする
欲張らず心穏やかに自分で歩く漫ろ物語
2016年が始まる
2015/12/25
誇り高き化石か、消費される先駆者か
スマホだけじゃなくて
デジタルサイネージも含めて
縦長画面に触れる機会が増えてきてる。
モバイルで動画を見てもらう場合
縦長映像は横長と比べて9倍
最後まで見てもらえる率が高まるという調査があるらしい。
なるほど持ち歩く画面を意識した絵つくりかあ
動画は横位置という
固定概念がとりはずされていくね
スマホの普及で
少なからず写真にもこの影響は出てきている。
構図ありき、送り手主導で
縦位置 横位置を決めていた時代から、
受け手環境に馴染みやすい対応
かつてオーディオセットの前に対峙して
ありがたく音楽を聴くのが普通だったが、
今や場所を選ばずHi-Fi音楽鑑賞をする時代になった。
その事で聴かれる音楽の内容にも影響は出ているのではないだろうか?
額に入った写真や
テレビの前まで足を運んで鑑賞する事だけが
映像・写真鑑賞だ、などと固まった感覚でいるとあっという間に置いてきぼりをくらうだろうな
鑑賞者におもねった、
主体性のない創作も空しく消費され流されていくだろう
こんな時代にあって
アマチュアはどう行動していくか
ひとりひとりの
考え方が問われる
2015/11/20
写真家のミッション
報道写真の世界では
演出と加工の境目を
「芸術性と不正」という視点で再考察をはじめたようだ
もしかしたら報道写真に対する考え方、姿勢が
改めて見直されるきっかけになるかもしれない
確か3,4年前から急に
世界報道写真展に並ぶものに変化があったのを感じた。
その事は当時の感想で書いたけれど
一言で言えば整い過ぎということだ。
キャパや、一ノ瀬が撮ったブレやボケを受け入れ
それを超える衝撃的臨場感を捉えた一瞬というのではなく
デジタル技術で作り出したヒトの目以上の光景
戦場の廃墟に差し込む光が
カテドラルの中の光芒のように演出される
ドラマ性を高める効果はあるけれど、
事件のリアリティをスポイルしているように感じていた。
目の前で起きていることを抒情的に創り上げる写真と
事実を克明に記録し、迅速に伝える写真。。。
使命の違う写真があって
受け手はそれを峻別して
鑑賞眼をスイッチしながら摂取するスキルが求められる
アマチュアの作品にも
もっと時代と同期して変化を取り込む刺激のきっかけが欲しいところ
旧態依然とした価値観の淀みの中で
漫然と過ごしていてはならない
デジタル写真を否定する事で
自分の相対的価値を守ろうとした世代は10年の時間の流れで自然淘汰されたように
撮影機材のみならず
これからは
展示メディア
鑑賞ツール
鑑賞環境も可能性が広がってくるだろう
我々アマチュアのミッションは
報道写真家とは全く違うものがある。
ツールや環境の
いかなる変化をも柔軟に吸収しながら
自由に思索発信できる創作空間でありたいものだ。
2015/09/28
時間よとまれ
日頃から心のどこかにある感覚
写真を撮る事と
物を見る事は、
両方同時には成り立たないのだという実感。
ファインダー越しの景色には、
感動を内面に溜め込む作用を期待してる
肉眼の景色からの感動は
周囲との双方向性が魅力
いろんな作用反作用が嬉しい。
三脚まで持ち出して
ヒトが撮らない月をモノにしてやろうとギラギラするのも写真。
iPhone片手にそぞろ歩きながら
心を動かされた瞬間を手折るのも写真
画質だ構図だ色だというのも楽しいけれど
手元に残るのは、写真という外部記憶でしかない
それより大切なものを
取りこぼしたのではないかという焦りの感覚は起こりはしないか?
今この時しか無い瞬間をちゃんと
肉眼で見て感じておく事の大事さ・・・
入学式、卒業式、運動会は
カメラで残したい派と肉眼で心に刻みたい派が居る
遠い国まで旅をして
写真を撮らないなんてというヒトと、写真なんか撮ってるヒマないでしょというヒトがいる。
今この瞬間はもう2度と来ないという気持ちがあったら、どっちを取るか?
足跡を遺したい派は写真
自分とともに消したい派は肉眼
忘却を怖れて
永遠という言葉に憧憬を持つか
自然の流れに身を委ね
刹那の儚さに浪漫を感じるか
ある意味究極の選択
生き方の問題。
ファインダー越しでは感じられない
もっと密着したくて
勿体なさすぎて・・・
そんな夜も今は過去。
2015/08/15
生きるという事の意味
お盆 御施餓鬼 ・・殺生
お寺で聴く「六道」講話の話が
戦時中の極限状態と重なる。
きっと仏教が生まれた頃の世の中は、生き死にが、日々の生活と近い所にあったのだろう。
翻って日々の僕の暮らし
仕事・使命・目的…
生きるという事の意味
人間でいられる為の条件…
自分で勝ち取ったわけでもなく
明日も有ると思っている
日々とは何か。。
映画「野火」を観た
お盆休み、少し時間がゆったり流れている間考えてみたいと思う。
脳内BGMは
モーツァルト レクイエムより『Dies irae』
生きるという事の苦しみは洋の東西を問わず。。。今日の平和に感謝
映画「野火」を観た
お盆休み、少し時間がゆったり流れている間考えてみたいと思う。
2015/07/21
Nadegata Instant Party に出会った
鑑賞したり、解説を聞いて理解するというアートもいいけれど、
自分から飛び込んでいって感じとるのも楽しみ方のひとつとして重要だなあと思いますね。
自分から飛び込んでいって感じとるのも楽しみ方のひとつとして重要だなあと思いますね。
まさにトイレンナーレ
「一歩前に!」の精神!
なるほどです(^o^)
「一歩前に!」の精神!
なるほどです(^o^)
評価が定まったり、有名だったりするものを、
頂いて有り難がるだけがアートジャナイなという実感はあったけど、
アーティストの世界観に、体験者として溶け込んで行くというのは思い白い!
頂いて有り難がるだけがアートジャナイなという実感はあったけど、
アーティストの世界観に、体験者として溶け込んで行くというのは思い白い!
おおいたトイレンナーレのファイナルイベントがセントポルタ中央町の入り口にあるWING屋上で開催されることが決定したようです。
場所は決まってるけど、どんなモノができ、どんなコトが起きるかは、どんなヒトたちが集まって面白がりながら、どんな盛り上がり方するかで決まる感じ
これに関わって、楽しもうというヒトのミーティングは
9月5日にやるそうです。
それから3週間いろいろなドラマが生まれそう
9月5日にやるそうです。
それから3週間いろいろなドラマが生まれそう
9月の連休19日から23日の5日間がファイナルイベント!!
Nadegata Instant Party《ルーフトップ・メーリーゴーランド》
に巻き込まれて楽しんでみませんか!
に巻き込まれて楽しんでみませんか!
おいちゃんも
楽しみにしてるよ(^o^)
楽しみにしてるよ(^o^)
2015/06/14
いつもありがとうございます
絶望的になるほど漫然と馬齢を重ねて早51年。昨日は誕生日でした。
本人の無自覚とはウラハラに
いろいろ山あり谷あり、結果オーライで、今日まで楽しく人生を過ごさせて頂いているのは、私の様な曲者と日頃お付き合いして頂いている皆様のお陰と深く感謝しております。
次の一年も
皆様から頂く日々の「こころ付け」に対し感謝を忘れず、気付きを無駄にしないよう過ごしたいと思います。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。
ありがとうございます。
2015/06/08
「美しいもの」
資生堂のCMに出てた頃の印象はサイボーグっぽい人だなあという感じだけだった。
いや彼女がオリジナル。
サイボーグデザインが彼女を真似たのかもしれない。
サイボーグデザインが彼女を真似たのかもしれない。
だんだんこっちも歳を重ね美しさの物差しが変わっていく。
すると価値観も変わり、彼女の見え方も変化した
そして先日東京での展覧会で、
生い立ちや多彩な活動、功績を辿って知る機会を得てからは、神々しくさえ見えてきた。
すると価値観も変わり、彼女の見え方も変化した
そして先日東京での展覧会で、
生い立ちや多彩な活動、功績を辿って知る機会を得てからは、神々しくさえ見えてきた。
相田みつをさんの言葉を思い出した
「美しい花を見た 美しい花は美しい枝についている 美しい枝は美しい幹についている 美しい幹は美しい根っこが ささえているにちがいない」有形無形の美醜の集積が人を形作っているとするならば、
「美しさ」というのは、見かけだけでは成立せず、内面奥深くから滲み出てくるモノなのだろう
さらに、関わる人を巻き込んで 尊敬、心酔、憧憬が伴わないと薄っぺらいものになるのだろう。
専門家が美しいと言うからとか、
みんなが美しいと言うからとか、
ブランドだとかで、有難がるのはもうやめよう
みんなが美しいと言うからとか、
ブランドだとかで、有難がるのはもうやめよう
好きか好みでないか。
それは自分で決めるもの。
それは自分で決めるもの。
美しいものを追い求め、
近づく資格が自分にはあるか?
これはたぶん永遠の自問自答
近づく資格が自分にはあるか?
これはたぶん永遠の自問自答
これもシネマ5向きだよね(^.^)
2015/06/06
Human Resources
knowledge Workers
TRENDS:
TRENDS:
- Workers have more confidence in themselves;less confidence in employers
- Key work is accomplished by project teams
--not necessarily by employees - The star system is spreading --it's what you can do,not what you know
- Deals are better than jobs
BOTTOM LINE:
--We are entering
the age of the entrepreneur
stanford university orientation
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