あまり乗り気ではなかったんですが、
きょうは構図の話しをせよとのことで2時間。。。
なんで気乗りしないかというと、そもそも撮りたい対象も決まってないうちから「良い写真悪い写真」を気にしているようなヒトたちに、構図の話しなんかするとさらに生真面目にセオリー通りにやろうと萎縮してしまうんじゃないかと思ったからです。
イイ写真悪い写真なんか無いと思う!!
頭でっかちになると、写真が退屈になる(お前が言うんか!といわれそうだけど(^^;))
だから・・・それより見た時「好きかキライか」だとか、「惹きつけられたり、スルーしたくなったり」の感覚の方が大事なんじゃないかと思う!!
ということをたっぷり前置きしながら、
とりあえずキホンと言われているような所を話しました。対角構図とか三分割とか。。。
理屈じゃなくて、気持ちよいアングルにしたくなる感覚ってなんだろうねえという話し。
写真観賞って自分の中での物語づくりのような気がするんですね。
作者と鑑賞者は切り離して自由でありたいし。
写ってるモノや場所とかは、そのままの意味で承る必要ないと思うし。
なにより、一枚の写真からでも、人生観とか経験によって生まれてくる物語は10人10色であるほうが楽しい。
撮る方も見る方も、どうせオレがオレがになるんだから。(よい意味で)
ただ、撮る人は見る人に、心地よく夢想する時間をもってもらうために、
気が散らないよう写真の中身を整理した方がいいよねということは言えるかもなと。。
日の丸構図が好きだという感じの人には、それを勧めました。
カタログ的・記録的にカチッと撮りたいという人には、それを撮るための話しを。。。
帰りしなに、「きょうはいい話を聞いた。カメラの使い方教室のつもりだったが、毎回生き方、日々の暮らし方教室だ」と言われて、赤面恐縮!!
なんかまた太平楽話をしてしまったんじゃないかと帰り道恐くなりました。
だけど、、、言葉だけあたしのガサツな日本語にしただけで、これ全部「○○先生」の受け売りです。す。(汗)
2013/09/12
2013/09/11
草間彌生はこの世の人なのか? シャーマン????
市美とLOVE展での草間彌生 結局3回行ったんだけど、浮かぶ言葉は「圧倒」
僕の中では感動・共感・幸福・癒やし・安堵・・からはほど遠いものだけれど、
正体不明のエネルギー塊、、原始のパワー(それは霊魂とか幽体と呼ばれるモノかもしれないが)、「そういうモノがきっとあるんだろうなあ。。」「世の中にはいろんな感覚の人がいるんだろうなあ」は感じさせてもらえた。。かな??
ちょっと「寛容な人」になれた。。気がした。
魂には善悪の境はないのだろうが、接し方で変幻自在に見え方が変わるのだろう。
「俺の心は何に反応するのか?」を考えながら見てた。
不安・疑問・畏れを拭いたくて、3回行って思ったのは、、、
こんだけ真剣に「何だこれは?!」を感じさせてくれたことに感謝
それと、
「素人は、端切れでもいいから、人として共通の価値観というか、常識の物さしが当てられるところがないと、心震わせようがないんだわあ」。。。ということ。
そういう意味から「岡本太郎・棟方志功は、寛大で健全で偉大なビジョナリーだ!」ってこと。。。も感じた(笑)
草間さんは「社会が認めた」というとりあえず保証判が押されているので、努力したけど、
なんかそれだけでは、負けたような気持ちになる。
歯が立たないまでも、一生懸命に立ち向かってすがりついて鑑賞した後には、心地よい疲労感を味わえるということがある。
後になって、全く関連も無いところで、点が繋がって一条の光になって、現れることもある。
「アート」にシンクロ出来ると、とても幸せな気分になれる。
モノの見方のバリエーションが増えたような心地よい錯覚も味わえる。
そういう体験もアートの魅力・効能だと僕は思ってる。
全く別の次元の話になるけれど
流行りの「自称アート」には、僕の感覚では全く歯が立たないモノがたくさんあります。
いや、食らいついて見てやるという意欲すら生まれないことも。。。
まあ僕が無理して分かろうとすることもないし、作者にもハナから期待はされてないのだろうけれど、観覧後にこのテの寂寥感があると、やはり残念なんですよ。。。。心地悪い疲労
これ結局、ああ僕もみんなと同じだという安心感が欲しいだけなんだろうか・・・
僕の中では感動・共感・幸福・癒やし・安堵・・からはほど遠いものだけれど、
正体不明のエネルギー塊、、原始のパワー(それは霊魂とか幽体と呼ばれるモノかもしれないが)、「そういうモノがきっとあるんだろうなあ。。」「世の中にはいろんな感覚の人がいるんだろうなあ」は感じさせてもらえた。。かな??
ちょっと「寛容な人」になれた。。気がした。
魂には善悪の境はないのだろうが、接し方で変幻自在に見え方が変わるのだろう。
「俺の心は何に反応するのか?」を考えながら見てた。
不安・疑問・畏れを拭いたくて、3回行って思ったのは、、、
こんだけ真剣に「何だこれは?!」を感じさせてくれたことに感謝
それと、
「素人は、端切れでもいいから、人として共通の価値観というか、常識の物さしが当てられるところがないと、心震わせようがないんだわあ」。。。ということ。
そういう意味から「岡本太郎・棟方志功は、寛大で健全で偉大なビジョナリーだ!」ってこと。。。も感じた(笑)
草間さんは「社会が認めた」というとりあえず保証判が押されているので、努力したけど、
なんかそれだけでは、負けたような気持ちになる。
歯が立たないまでも、一生懸命に立ち向かってすがりついて鑑賞した後には、心地よい疲労感を味わえるということがある。
後になって、全く関連も無いところで、点が繋がって一条の光になって、現れることもある。
「アート」にシンクロ出来ると、とても幸せな気分になれる。
モノの見方のバリエーションが増えたような心地よい錯覚も味わえる。
そういう体験もアートの魅力・効能だと僕は思ってる。
全く別の次元の話になるけれど
流行りの「自称アート」には、僕の感覚では全く歯が立たないモノがたくさんあります。
いや、食らいついて見てやるという意欲すら生まれないことも。。。
まあ僕が無理して分かろうとすることもないし、作者にもハナから期待はされてないのだろうけれど、観覧後にこのテの寂寥感があると、やはり残念なんですよ。。。。心地悪い疲労
これ結局、ああ僕もみんなと同じだという安心感が欲しいだけなんだろうか・・・
次回のシャガール展も楽しみ。。。愛の谷間で溺れたい
2013/05/19
春の県美展 本日終了しました。
春の県美展 本日終了しました。お忙しい中時間を割いて芸術会館までお運び頂き、皆様ありがとうございました。
春-夏は先月の九州国画写真展をかわきりに、7月まで5つの写真展に出品します。きょうで2つ消化・・・。
次は6月 私の母体といいましょうか、所属しているタイムフォトアートのクラブ展がアートプラザで開催されます。
県美展も終わりましたので、気持ちを入れ替えてクラブ展の準備にとりかかります。
時期が迫りましたらまたご案内します
お時間ありましたら、ご覧ください。
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