図面上で壁の長さを測って、額の間隔を決めれば何枚掛けられるかわかりそうなものだけど、不思議なモノで実際にやってみると、ずいぶん感じ方違う。
きれいに配置されることと、心地よく配置されることの違いかな。
「バランスよく」には多様性があるということ。
さらにその「バランスよく」は流動的。。。感じ方は刻一刻変わっていくもの。
むりくり大きな話にもっていくけどさあ、、、
実地に体感することが大事であり、全てなんだと。。。
バーチャルは所詮参考にしかならない。
大いに分かったような気にはさせれくれるけど、「本当」ではない。
「そんなことおまえが言わなくたって、わかってるよ!」だよね。
ただちょっと、その「分かり方」「解り方」「判り方」が
僕も含めて、昨今しょぼい。
技術の進歩で傾向予測やリアリティは増してきている。
だけど「どんなに突き詰めても現実にはならない」ということを強く戒めておかないといけないんだよね。
麻薬のように甘美な錯覚に流される傾向。。なくはない。
データや慣例、トレンドを判断基準にしすぎ。
推測に対する謙虚さというか、不確かなモノに対する慎重さや畏れの感覚って
、、、PCによって薄れてきているよね。
可視化によって感じ、そこから先の行動が、縮こまるというか画一化方向にはたらくのは間違っているような気がする。
可視化で得られたものから、どう感じどう行動するか。
そこから先の行動が 多様性が増す方向で、
もっとヒトに能動性をもたらす方向で活用すべきだと思う。
推測で達観し、過信している。。。
ひいては「世の中をなめてる」ということにも繋がるような気がして
PCに頼らない世代のいう「世の中そんなもん」と、
PCから導かれたものを基準にいう「世の中そんなもん」の差はとてつもなく大きいなあと。。。
、、、PCによって薄れてきているよね。
可視化によって感じ、そこから先の行動が、縮こまるというか画一化方向にはたらくのは間違っているような気がする。
可視化で得られたものから、どう感じどう行動するか。
そこから先の行動が 多様性が増す方向で、
もっとヒトに能動性をもたらす方向で活用すべきだと思う。
推測で達観し、過信している。。。
ひいては「世の中をなめてる」ということにも繋がるような気がして
PCに頼らない世代のいう「世の中そんなもん」と、
PCから導かれたものを基準にいう「世の中そんなもん」の差はとてつもなく大きいなあと。。。
いまどきの「スマート」とは、なんと軽薄で、恥ずかしいものなのかということをわきまえたいと。。。
「スマート」ってさあ、ほんとはもっと生々しく、柔軟なものだと思うんだ。。。
あ、いまちょっと攻撃的になってる。
不満を駄文で冷まそうとしているな。
不満を駄文で冷まそうとしているな。