2009/03/31

無くなるものが多すぎる



Originally uploaded by URA-HAL
写真は人が撮るもの。
カメラによって
生まれる写真の雰囲気が違ってくるなんてないはずなのに

不思議とメーカーごとにテイストが違うのはなぜだろう

コンタックスから生まれるものは
野暮でなく、キザでなく、無骨でなく、軟弱でもないもの

どうしてかなあ??
気のせいなのか?

今回上京の折、最後のクラブ員の作品展を見に行ってきた。

観覧者は芳名録に記帳しながら
異口同音に閉鎖を惜しむ声を残して去っていった。
サロンの告別式だった

有楽町界隈が似合う初老の男性が多い
品のいい軽妙な東京口調が聞こえる

京セラはブランドを手放していないのはなぜだろう?
いつかまた。。。期待したい

2009/03/22

昭和がまたひとつ消えた


昭和がまたひとつ消えた
Originally uploaded by h@lsan
小学生の頃、街に「スーパーマーケット」ができると喜んだのを覚えている。
長崎屋、ジャスコ、西友、ニチイ、ダイエー、、、

周辺の街は彼らの進出を拒む姿勢で臨んだが
うちの街は大手資本進出を、迎え入れた。

そして繁栄の時代を共に謳歌した。

時代はかわり
彼らは去って行った。

彼らの居なくなった街はこれからどう変化していくべきか・・・

2009/03/18

九州国画会 写真展やってます


九州国画会 写真展
Originally uploaded by h@lsan
九州国画会写真展始まりました。

僕も出展しています
今回は一番目立つところに飾ってもらえました。
身に余る光栄です
ありがとうございます。

プリント仕上げにもktbk印刷さんに、気が済むまでつきあってもらいました。

気に入ったモノを出し、タイトルもこだわりました。
審査の先生にはタイトルに凝り過ぎじゃねと言われたけど、
僕的には他の言葉に置き替えられないくらい研ぎました。
あくまで僕的に。ではあるけれど
作品とタイトルはシンクロ率100%です。
昨今の僕の心境そのものです。

だから冗長とかシチクジイ(大分弁でくどい)とか理屈っぽいと言われてもいい。

だって
そういう奴だしなあって、。、、、

開き直ってるかな。(^_^)


九国に出し始めて3年目、
今回はこだわりました。煮詰めました。

昨年はずいぶんもがきましたからね。
撮ってるのに撮った気がしなかった。
でも苦しんだ甲斐が有ったなあって思います。

でも終わりじゃないんですよ
何も変わっていないとも言える
始まりでもあるんです。

「自然体で心穏やかに、、、」
ゆったり続けていこうと思います。

どうぞよろしくお願いします。

写真展は
日曜日まで県立芸術会館でやってます。

2009/03/13

終列車


終列車
Originally uploaded by URA-HAL
いつもより長い長い汽笛を鳴らし、列車は動き出した

いつもよりゆっくりゆっくりホームを離れ
見えなくなるまでゆっくり走っていった。

3度いとまごいの汽笛を残し見えなくなった。

また一つ昭和が消える
また一つ記憶の証人が消える

言葉のニュアンス



Originally uploaded by h@lsan
「刹那的な生き方」いうとネガティブに聞こえるけど、人によっては語感が気に入って自分のことをそう評す人がいた。

「たまゆらに暮らす」というと、ほんのりゆったり感じるけれど、稀薄な生活力ととる人もいる。

ヨコモジは嫌いだという人、ヨコモジで伝えた方が楽だという人

言葉の意味
耳に届いたときの感覚
その場の空気
その後への影響


言葉は生き物だというけれど
ほんとだなああ


創造と破壊をもたらす生きた刃物

2009/03/06

送り手と受け手

こっちの意図は、「こんだけ」。
受けた人が、「どんだけ」にとるかには、こっちは関われない。

言葉しかり、行動しかり、作品しかり

臆病になったら動き出せない。
高慢になったら傷つけ傷つく

そこに、危うさや、おもしろさがある。

額面通りがいいな
滅多にないけど。
多すぎても少なすぎてもうれしくないね。

微妙なズレもまたおもしろみを増すこともあるけど。。


「こんだけ」を「ああなるほど、そんだけね」と、
こっちの思いどおりに伝わることがあれば醍醐味

それが欲張りなんだよって言われる。(笑)