今日は結局家にいます。
7日前から巡る巡る。。。逡巡巡巡巡・・・
行かないと言うより、行けなかった。
行けないと言うより、行きたくない。
行きたくないくせに、行きたかった部分が見え隠れ。
行きたかったくせに、行かない自分が歯がゆい。
歯がゆいくせに、行かなくてよかったと、のんびりしてる。
のんびりしてるんなら好いじゃないかと思うのに、なんか違う。
今日はこれでいいんだ
また再来年考えよう。
僕は何に頼ってるんだろうか。
僕はどうしたいのか
決めるのは僕なのに。
いや
答えは決まってる
自分の答えが気にくわないだけ。
今日のところは紙一重、間一髪で
「行かないの勝ち」で、行かなかった感じです
自分に負けた気もします。
こんな風に、最近僕の心がお気に召す時間が少ないので
非常に気を遣います。(笑)
こういうときはamazonでなんかポチとやったりして機嫌直していたのですが、そういうのもつまらんなと思います。
どうしたら僕に機嫌を直して貰えるのでしょうか
気むずかしい人です
モノも、酒も、コトも満たしてくれないから
旅に出ようという気になるのでしょうか
旅に頼ってもだめなのに
昨日読んだ本の中におもしろい部分があった
「世界は私を通して夢を見ている」
「世界を知るためには身体感覚を総動員して、夢に注意深く接しなくてはいけない」
「世界は次々と夢を見る。新たな謎を投げかけてくる。」
「それは夢の誘いだ」
「その誘いに挑み2つのリアリティを生きることが人生の目的」
というもの
アイヌやネイティブアメリカンの人たちには、常識的感覚らしいんです。
「あなたの経験するものは全て個人的体験だよ、あなただけの体験なのだ。なぜなら世界はもう一人のあなたが見ている夢なのだからね・もし、ちょっとでもあなたの注意を惹くものがあったら、その呼びかけを無視してはいけない。集中しなさい。じっと見つめ、体験の中に飛び込みなさい。怒りや悲しみの感情が起こっても、目をそらさずありのままを受け入れてごらん。そうすればあなたは、あなたの夢を、自由に旅することができる。」
なんとなく分かるんです。
今自分に起きていることを苦痛に感じながらも
客観視して対応していこうと思います。
この山を越えたら、僕は人として少しリッチになれる気がする
なかなか手に入らないモノのほうが値打ちがあるのですから