鑑賞は、どれだけの気づきが湧いてくるか、
思索のきっかけを示唆され深め拡げてくれるかと、
楽しみとか期待とか面白がりを抱いて挑む内発的動機が生じない限り成立しない行為。
批判や粗探しの類とは次元が違うものだと思うが、混同して語るヒトが多いのもゲンジツ
本来鑑賞者本位。正解など無用の行為だが、外に披瀝するとなれば、鑑賞者は言説を鑑賞される立場となるわけで、それなりの覚悟と信念が求められるもの。
自らの発言で自分の地位を危うくしている場面を見かける事もある。
だからといって当たり障りの無い慣用句を羅列しただけの講評なんか増えても意味が無い。
誠実に真摯に感想を交わせる人間的寛容さと信頼がお互いに必要となる。
すべての前提