由緒ある庭園がある都市には、言葉にできない「なにか」がある。。
後付けのストーリーで固めた「作り物」ではなく、歴史によって支えられた確かな「存在」。地域の血にしみ込んだ無言の哲学がある。
それを「文化」とか「深み」とかいうのだろう。
旅行者はとうてい自分の物にすることなどできない。
知らない街でいつもと違う風に吹かれることで起きる内的変化を楽しんでいる。
「深み」の片鱗に触れることで、自分の中に新しい光の萌芽を得たいがために、旅行者は遠路足を運ぶ。
解説は最小限がいい
湧いてくる疑問は自分で答えを見つける。つくる。
教われば教わるほど、深みは色あせる。
発見できた分だけが、自分に残るべき物
教われることはヒトの視点のコピーでしかない
面白いモノはあるのではなくて見つけるモノ。
自分内部で作り出すモノ。
観光って言葉もすり替えられてるんじゃないかな?
与えられるものをおもしろがる、余興になりさがっていないか?
写真は
目の前にあるものを借りて
おもしろさを自分で造り出す、情感変換装置・・・・
なんじゃなかなって、僕は思う