2009/07/26

残照

両親に家に掛けられるものを撮れといわれて1年が経った。

日頃僕が撮るものは確かに年寄りには心地よいものじゃないのかもしれない。

家に飾りたいというのは嬉しいけれど案外考えるもの。
それなりに思いを込めたものにしたいから。

家用を作るために、気分のよいときに撮りに出ようと思っていたんだけれど
このところ会うたびに催促されて、うるさいから今日決めることにした。

今年の春の県美展出品作と同じ、去年の秋に撮ったものから

「残照」とした


今を盛りと咲き誇る季節外れのひまわりの花
穏やかな秋の夕暮れ
実はひまわり畑の向こうは墓地があるんです。


ペシミスティックにとられるかもしれませんね。
でも違うんです。

夕暮れのひまわりは、、翌日の朝日の方を向いて立っています。

多くを望まず
一日一日
大切に丁寧に
心静かに穏やかに

今年も時季がきたら行ってみようと思います。

2009/07/25

永久凍結

さっき8時過ぎに相が変わりました

僕の思っている方法とは全く違いますが
たぶん長い長い時間を経ればきっと大差ない物になると思うので
反論しないことにします。

本質的にはなんにも変わっていないのです
相が変わるということはそういうことなのだけれど。
組立方、考え方の違いで異質なものに映るんでしょうね。

本質的に同じでも
表面的に違うことの方が問題だということのようです。

いまはもうなにも、言わないでいようと思います。

2009/07/19

ぬけがら



Originally uploaded by h@lsan
もう、ここからは何も生まれない。
なにも育たないのだろうか

俺そのものということかな

ふと思った

なんにもわかってないんだ。

2009/07/09

人生行路 死語かなあ。。。



Originally uploaded by h@lsan
板子一枚下は地獄というけど、人の世もある意味同じ。

まっすぐの道の、真ん中を歩いていれば間違いはないとおもってるのに、長い人生の間に、今いるのが道の真ん中なのか端っこなのかわからなくなることがあるということ。

長い防波堤を歩いていると、ちゃんと道幅はあるのに陸地から離れて行くほど心細くなる、あの心境か。。。

道幅が狭くなるわけではないのに。
振れ幅が大きくなっているわけでもないのに
端から落ちそうな錯覚をおこしてるんだと思う。

ハシゴを2m登るのも
10m登るのも作業は同じ。
別にハシゴが細くなるわけでもないのに、高さが増すと落ちそうな錯覚が襲う
しっかり握っているのに、手がすべりそうな気がしてしまう。

いま、
細い板橋を目隠しして歩いているような気がする。
自分は真ん中なのか、端っこなのか・・・

何を信じればいいのか
自分の感覚は確かなのか?
拠り所が揺らいでいる。
判断材料が少なすぎる。
分からないことだらけ

いままでずっと、
幅100mはあると感じていた板橋が、いまは50㎝に思える。


正しいと信じて、まっすぐ踏み出すと
自分の思い込み、勘違いで思わぬ方向に曲がっていることもある。
今日の判断はどうなんだろう?

合ってるの?
また勘違い?

問いかけても
返答はない。


返答がないのは
判断が合っているから?
間違っているから?

自分は合っていると信じて安堵する。かと思うと、
次の瞬間、間違っているんだと不安が襲ってくる。

日々の判断の振れ幅が大きすぎる。

目隠しが取れないなら
手探りで這って
一歩ずつ歩くほかないのだ

冷静に、深呼吸しながら

最終目標はぶれない
落ちずに渡りきること

2009/07/05

軽妙という名の残酷

人を明るく楽しくする語り口 いいな

耳障りよく、スルスル入ってくる口調は人に好かれる うらやましい

人に疑問を抱かせないテンポ、リズム、ボリューム うんうん

理屈ではなく感覚に響く言葉選び。。。。 なるほど

センス、洗練という媚薬


それだけで、事足りてる?

ほんとに?
受けた言葉で、自らが変わったんだね?

自分のモノになったのなら大いに納得。

なった気になってるんじゃないのか?

ただ
持って行かれているだけじゃないのか?

それでいいんだね?
ほんとに?


言葉を吐いている方は、受け手の結果は関心外だったりすることがある。

なにもかもエンタテインメントで、ほんとにいいのだろうか?

見えないけど厳然としてあるもの

口に出さないけどどこかにある壁や溝

いたるところにあるんだよね。
言うこととまるっきり逆の状態として見えていることすらあるな。

言わなくても見えている
結果が物語っているというケースの残念さ。。。

権威ある人が語る言葉の無力感はその辺にもある

力説すればするほど墓穴を掘っているのだ、
実は本人もその矛盾に気がついているが、一生懸命語ることしかできない現実。

言行一致で居たいな
※可能な限りなるべく・・・と逃げを打っておこう

少なくともやる前に諦めるというのは無しにしようと、思い続けようと。

可塑性を保つこと。
少なくとも自己否定しつづけようと。

時々刻々
自信と慢心の挟間に落とし穴が隠れていることを自覚していよう。

2009/07/02

食はセンスの塊



Originally uploaded by URA-HAL
食べ物の好みや組み合わせってのは、
モノの考え方やコトの運び方。。。
あらゆるセンスにも通じる物があるように思うことがあって、
僕的には血液型占いよりは重要視しているのだが、どう思う?

少なくとも、食べることに興味が無いとか、食事の時間を大切に思わないヒトとはうまくいかないことが多い。

食べ物に頓着ないということは、生に対する意欲や感謝が薄いんじゃないのかと言うのは言い過ぎかな?
経験的にそういうケースかなりあるけど。。。


食べ物の好き嫌いの反応にもいろいろあるね。
これもヒトのクセ、対処法にも通じるものが見えるわけだが
感動の表現とかデリカシーの方向性は、
日々の生活や人生のありかたにまで繋がる大きな事柄のように思えてしまう。


料理人はアーティストだよ。
同時に食べ手サイドもいろいろ考えるべきものあるな
アーティストの作品を味わう力身につけたいな。
これ味覚の話じゃないですよ。


まずは、箸、カトラリー使い方、所作・・・これは勘弁して(^_^;)


我が家では食べず嫌いは認めない。
試して好みでないものはしかたない。
でも、決めつけるなとも言う。好みは変化していくこともある。
チャンスを自ら切ることはないのだから。
嫌いな物もたまには口にすべきなんだと思う。

そしてなにより
食べ物に向かって「まずい」というのは一切禁句としてる。

感謝があれば、そんな言葉は吐けないのだから。
つまらん言葉は、世の中多いけど、とくに使いたくない言葉だと思う。


※写真は話題と関係ありません。

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