板子一枚下は地獄というけど、人の世もある意味同じ。
まっすぐの道の、真ん中を歩いていれば間違いはないとおもってるのに、長い人生の間に、今いるのが道の真ん中なのか端っこなのかわからなくなることがあるということ。
長い防波堤を歩いていると、ちゃんと道幅はあるのに陸地から離れて行くほど心細くなる、あの心境か。。。
道幅が狭くなるわけではないのに。
振れ幅が大きくなっているわけでもないのに
端から落ちそうな錯覚をおこしてるんだと思う。
ハシゴを2m登るのも
10m登るのも作業は同じ。
別にハシゴが細くなるわけでもないのに、高さが増すと落ちそうな錯覚が襲う
しっかり握っているのに、手がすべりそうな気がしてしまう。
いま、
細い板橋を目隠しして歩いているような気がする。
自分は真ん中なのか、端っこなのか・・・
何を信じればいいのか
自分の感覚は確かなのか?
拠り所が揺らいでいる。
判断材料が少なすぎる。
分からないことだらけ
いままでずっと、
幅100mはあると感じていた板橋が、いまは50㎝に思える。
正しいと信じて、まっすぐ踏み出すと
自分の思い込み、勘違いで思わぬ方向に曲がっていることもある。
今日の判断はどうなんだろう?
合ってるの?
また勘違い?
問いかけても
返答はない。
返答がないのは
判断が合っているから?
間違っているから?
自分は合っていると信じて安堵する。かと思うと、
次の瞬間、間違っているんだと不安が襲ってくる。
日々の判断の振れ幅が大きすぎる。
目隠しが取れないなら
手探りで這って
一歩ずつ歩くほかないのだ
冷静に、深呼吸しながら
最終目標はぶれない
落ちずに渡りきること
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