逆境を乗り越えて生きている人は、漫然と生きている僕らとは違う世界にいるのかもしれない
悪性腫瘍と宣告され生死の境を彷徨いながらも、いまを前向きに歩いているその人
話の意味がわからない所もあったが、
総じて感じたのは、彼は僕らにとっては「些末なこと」「あたりまえ」と一蹴するような事にも、
いろんな意味を見つけて深く吸収しようと努力している
たぶん彼に起きたことで、僕らに見えないものが見えるようになったのだろう。
「あたりまえ」とは、
自分で判断せず過去の慣例に盲従すること。
自分で考えることを放棄する行為。
それでは、永遠になにも起きない。
彼の努力も一見「たあいのないこと」だったり「意味のないこと」のように見えてしまい
僕らは見過ごしてしまう、いや気がつきもしない。
気がつこうという努力の前に、ほとんどが終わっている。
僕が知っているのは講演会をやっているその時の言葉だけ。
その人物のホントのことはなにも知らないわけだが、僕なりに心に残った言葉をメモしておく
僕の意訳も含みます。順不同
- もう少し食べたいくらいが、一番おいしい=>煮詰まる前に火を止める
- 人との出会いや別れは、今まで自分が知らなかったこと(気がつかなかったこと)を気付かせてくれる。
- 作品展をやる(自分を人にさらす、伝える)前後で自分が変わる。
- 建設現場の足場がなければ、建物は建たない。工事が終われば足場は取り払われるが、建物はそこに建っている。
- 建物をみて足場のことに思いをはせる人はいないが、確かにそこにある建物には影響をした。
- 実際の世の中には建物(注目される人)より足場(影ながら支える「影響を与える」人)の方が多い
- 便利は不便、不便は便利(傍にあると気がつかないこと)
- 知識は教えられるが、知恵は自ら覚えなくては身につかない
- オリジナルを尊び、新しい物(誰もしていないこと)を尊ぶ心
などなど
最近読んだ本に「セレンディピティ serendipity」というのがあった
彼の話をきいて、そのことを思い出していたら、話の最後に彼もこの言葉使った。
ちょっと驚いた
wikiの解説によるとこう
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%94%E3%83%86%E3%82%A3
確かに僕は、あなたに会う前と後で変わった。
あなたが目の前に居なくても、あなたの影響で変わった僕はここにある
僕もいまの状況から、まえむきに別の価値あるものを感じ取って行こうと思う
願わくば、僕もあなたの中にセレンディピティの種を蒔けたことを祈りたい