2008/11/05

ある日の講演メモ:セレンディピティ

逆境を乗り越えて生きている人は、漫然と生きている僕らとは違う世界にいるのかもしれない
悪性腫瘍と宣告され生死の境を彷徨いながらも、いまを前向きに歩いているその人

話の意味がわからない所もあったが、
総じて感じたのは、彼は僕らにとっては「些末なこと」「あたりまえ」と一蹴するような事にも、
いろんな意味を見つけて深く吸収しようと努力している
たぶん彼に起きたことで、僕らに見えないものが見えるようになったのだろう。

「あたりまえ」とは、
自分で判断せず過去の慣例に盲従すること。

自分で考えることを放棄する行為。
それでは、永遠になにも起きない。

彼の努力も一見「たあいのないこと」だったり「意味のないこと」のように見えてしまい
僕らは見過ごしてしまう、いや気がつきもしない。
気がつこうという努力の前に、ほとんどが終わっている。

僕が知っているのは講演会をやっているその時の言葉だけ。
その人物のホントのことはなにも知らないわけだが、僕なりに心に残った言葉をメモしておく

僕の意訳も含みます。順不同
  • もう少し食べたいくらいが、一番おいしい=>煮詰まる前に火を止める
  • 人との出会いや別れは、今まで自分が知らなかったこと(気がつかなかったこと)を気付かせてくれる。
  • 作品展をやる(自分を人にさらす、伝える)前後で自分が変わる。
  • 建設現場の足場がなければ、建物は建たない。工事が終われば足場は取り払われるが、建物はそこに建っている。
  • 建物をみて足場のことに思いをはせる人はいないが、確かにそこにある建物には影響をした。
  • 実際の世の中には建物(注目される人)より足場(影ながら支える「影響を与える」人)の方が多い
  • 便利は不便、不便は便利(傍にあると気がつかないこと)
  • 知識は教えられるが、知恵は自ら覚えなくては身につかない
  • オリジナルを尊び、新しい物(誰もしていないこと)を尊ぶ心

などなど

最近読んだ本に「セレンディピティ serendipity」というのがあった

彼の話をきいて、そのことを思い出していたら、話の最後に彼もこの言葉使った。

ちょっと驚いた

wikiの解説によるとこう

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%94%E3%83%86%E3%82%A3

確かに僕は、あなたに会う前と後で変わった。
あなたが目の前に居なくても、あなたの影響で変わった僕はここにある

僕もいまの状況から、まえむきに別の価値あるものを感じ取って行こうと思う

願わくば、僕もあなたの中にセレンディピティの種を蒔けたことを祈りたい

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