2013/09/11

草間彌生はこの世の人なのか? シャーマン????

市美とLOVE展での草間彌生  結局3回行ったんだけど、浮かぶ言葉は「圧倒」

僕の中では感動・共感・幸福・癒やし・安堵・・からはほど遠いものだけれど、
正体不明のエネルギー塊、、原始のパワー(それは霊魂とか幽体と呼ばれるモノかもしれないが)、「そういうモノがきっとあるんだろうなあ。。」「世の中にはいろんな感覚の人がいるんだろうなあ」は感じさせてもらえた。。かな??
ちょっと「寛容な人」になれた。。気がした。

魂には善悪の境はないのだろうが、接し方で変幻自在に見え方が変わるのだろう。
「俺の心は何に反応するのか?」を考えながら見てた。

不安・疑問・畏れを拭いたくて、3回行って思ったのは、、、
こんだけ真剣に「何だこれは?!」を感じさせてくれたことに感謝

それと、
「素人は、端切れでもいいから、人として共通の価値観というか、常識の物さしが当てられるところがないと、心震わせようがないんだわあ」。。。ということ。


そういう意味から「岡本太郎・棟方志功は、寛大で健全で偉大なビジョナリーだ!」ってこと。。。も感じた(笑)

草間さんは「社会が認めた」というとりあえず保証判が押されているので、努力したけど、
なんかそれだけでは、負けたような気持ちになる。


歯が立たないまでも、一生懸命に立ち向かってすがりついて鑑賞した後には、心地よい疲労感を味わえるということがある。
後になって、全く関連も無いところで、点が繋がって一条の光になって、現れることもある。
「アート」にシンクロ出来ると、とても幸せな気分になれる。
モノの見方のバリエーションが増えたような心地よい錯覚も味わえる。

そういう体験もアートの魅力・効能だと僕は思ってる。

全く別の次元の話になるけれど
流行りの「自称アート」には、僕の感覚では全く歯が立たないモノがたくさんあります。
いや、食らいついて見てやるという意欲すら生まれないことも。。。

まあ僕が無理して分かろうとすることもないし、作者にもハナから期待はされてないのだろうけれど、観覧後にこのテの寂寥感があると、やはり残念なんですよ。。。。心地悪い疲労

これ結局、ああ僕もみんなと同じだという安心感が欲しいだけなんだろうか・・・


次回のシャガール展も楽しみ。。。愛の谷間で溺れたい

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