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2021/06/13

久しぶりに投稿。改めて写真について思うコト2021

 気持ちにゆとりがあって、じっくりその場を味わい、瑞々しく残したいと思う時はカメラでないと、勿体ないなあと思う場面もあるけれど、限られた時間で気分転換に出掛け、心に浮かぶ情感・情景を残しておこうという瞬間は、iPhoneの方がそつなく歩留まりよくこなしてくれる。(そつなくどころか、カメラより新しい技術を駆使して一枚の写真を生成する一面もある。)

あくまでカメラは道具。

道具を楽しむのも一興だが、
そこを深めたいならいざ知らず、素敵な時を過ごした記憶として写真を楽しむ時は、結果が全てだと僕は思う。
結果とは、映える画像でも、強いプリント作品でもない。体験者自身の感動だ

カメラは手段〜目的ではない。
残したいのは、「気持ち」もしくは、「僕自身のraison d'être」そのとき何を感じたか。。

上手に撮るとか、鑑賞者を意識し写す事に意識が行ってしまうと、
後で見直した時に得られる喜びは、写真生成に引きずられた官能性の浅薄なものになる。

と、今は感じるようになった。 何のため誰がために撮るのか? ということ。

気持ちの鮮度が伝わる写真に機材や画質の良し悪しは関係ない。
もし、そういった要素が最重要であるならば、過去の大家の傑作は画質的に劣ったものだし、同じ今を撮るアマチュア写真も高いカメラで撮った物を優れた作品と言うようなものだ。(そのようなことは断じてあり得ない)

その瞬間に気付き感じ、シャッターを押すだけでも、得がたい時間を記憶として定着させる、”かけがえの無い行為”そのものだ

極論すれば
本当に大切な瞬間は カメラ遊び、写真遊びなどせずに体験満喫に徹したほうが、鮮度高い記憶が残ると言っても良いのだ。

けれど、写真好きは欲張り。
自分のためだけに、時間と金を躊躇なく捨てる。(苦笑)

何をやっているのかは分かってはいるけれど、日々の些細な感動を、増幅して記憶するための行為として、とっても魅力があるのです。

確かに公募展でのドキドキや、賞をもらう喜びや感激も楽しかったし、そこでの交流によって様々な学びもあった。
その時貰った宝物も大事にしながらも、今の気持ちがあるということ。

多分これから先もしかすると、違う感慨を持つ事も、あるかもしれないけれど、それも刻々変化する自分の記録として
振り返って見るのも一興だと思っています。

みんなから教えてもらったのは、「写真は楽しい」ということ、生きていく上で「大事な時間」だということ。

いつも言うように、誕生日の今日も、これからも、息をするように撮り続けていたいと思うのです。




2016/11/26

カメラで呼吸する

野町和嘉さんの【地球巡礼】

五体投地を繰り返し、険峻な岩山カイラス山を登る




この写真集を観た時の衝撃的な記憶が無かったら

昨日映画「ラサへの歩き方」に行かなかったかもしれない。


野町さんの講演を大阪芸大で聞いたのは

もう7、8年くらい前 になる。

あの時、写真を通して様々な人の営み、幸福・豊かさのカタチの多様性を思い知るという主客転倒の体験をした。


敢えてファインダーを介して世界を観る・感じるという行為が、肉眼によるそれとはひと味違って面白いと

感じ始めたきっかけだったように思う。


カメラは、自分の知らない感覚を覚醒するチカラを与えてくれるような気がする。


2016/08/31

写真展行ってきました

い東松照明さんの、新編「太陽の鉛筆」と教え子さん方の連動写真展Reflectionが品川で開催されていました。



現代に続く写真の一潮流を作り上げたような「太陽の鉛筆」です。
偉大なマイルストーンということでしょうね。
ただ、時代の変化、社会感覚の変化も否めません。

昔のゴジラを受けてシン・ゴジラが生まれたように
東松から直々に薫陶を受けた、今を生きる若者たちによる作品群の方は、堂々と瑞々しく存在感を放っていました。

脆く危なっかしいモノも感じますが、そんなもの弾き飛ばす
若さの可能性が溢れています。

表現の仕方、作品、被写体と向き合う姿勢。。。
全て時代とともに変わっていくのでしょうが、写真という表現の面白さは全く色褪せる事なく膨らみ続けているように思えた
よい企画でした。

続けて観た写真展は
公文健太郎さんの「耕す人」



「太陽の鉛筆」の系譜に沿うようなドキュメンタリー性とともに
スナップ視点や、現代の農村問題にも目を向ける社会派視点など
密度の濃い展示でした。

これは僕のツボにハマってしびれました!

幸い作家さんご本人とお話をすることが出来たので
公文さんの人懐っこい話し方所作があって
この作品が生まれたのだろうと納得しました

被写体の表情に嘘が無い。
土の匂いや収穫の喜び、自然の美しさ

人間のDNAに刻まれた原初的感動という部分で
「太陽の鉛筆」と「耕す人」を同時に観られたのは
大変な幸運。。
永く記憶に残る展覧でした。

写真展を終えて
新型の5D4を冷やかして帰りました。

9月の終わりにBS朝日でキヤノンの番組があるようです
前述の公文健太郎さんも出演するようです
見ましょうかね
http://www.bs-asahi.co.jp/Photographers3/
もうすっかり外堀は埋められてしまった感があります。

後はカネの算段だけです(⌒-⌒; )

2015/11/20

写真家のミッション

報道写真の世界では
演出と加工の境目を
「芸術性と不正」という視点で再考察をはじめたようだ


もしかしたら報道写真に対する考え方、姿勢が
改めて見直されるきっかけになるかもしれない

確か3,4年前から急に
世界報道写真展に並ぶものに変化があったのを感じた。
その事は当時の感想で書いたけれど

一言で言えば整い過ぎということだ。

キャパや、一ノ瀬が撮ったブレやボケを受け入れ
それを超える衝撃的臨場感を捉えた一瞬というのではなく

デジタル技術で作り出したヒトの目以上の光景

戦場の廃墟に差し込む光が
カテドラルの中の光芒のように演出される
ドラマ性を高める効果はあるけれど、
事件のリアリティをスポイルしているように感じていた。

目の前で起きていることを抒情的に創り上げる写真と
事実を克明に記録し、迅速に伝える写真。。。

使命の違う写真があって
受け手はそれを峻別して
鑑賞眼をスイッチしながら摂取するスキルが求められる

アマチュアの作品にも
もっと時代と同期して変化を取り込む刺激のきっかけが欲しいところ

旧態依然とした価値観の淀みの中で
漫然と過ごしていてはならない

デジタル写真を否定する事で
自分の相対的価値を守ろうとした世代は10年の時間の流れで自然淘汰されたように

撮影機材のみならず
これからは
展示メディア
鑑賞ツール
鑑賞環境も可能性が広がってくるだろう

我々アマチュアのミッションは
報道写真家とは全く違うものがある。

ツールや環境の
いかなる変化をも柔軟に吸収しながら
自由に思索発信できる創作空間でありたいものだ。