今回敢えて大きなカメラは持たずに行った。
言うまでもなく都会はフォトジェニックな光景があちこちにある。
物珍しさ、目新しさだけでも十分わくわく。どきどきして
我を忘れる。。。「撮らされてしまう」
今回もそう言う場面に出くわしたけど
撮れなかった。撮らなかった。
できあがる写真は想像できる
それは、間違いなく非日常。
作品めいたおもしろい絵だけど、
僕が撮ってもそれは
僕の中に無い世界
異質なモノ
そんな、かっこいい光景は似合わないと思うと
手が止まってしまった。
かっこいい光景は
かっこいい人が撮ればいい
別人を演じられる人が撮ればいい
田舎の祭りを撮るときにも同じコトを思う。
撮る人にふさわしい写真がある。
異空間に入っていけない自分に半分悔しさもあるんだけど
これが僕だから
毎回どこかに撮りに行くたびに
見つけながら見送ることがある
ま、それでいいんだよ。
ここでも、やっぱり僕は「あなたが言うとおり」だ。
自然体でいよう
以下は滞在メモ
●scrap and buildの功罪
景色が変わって得られるモノ失うモノ
景色とは目に見えるものだけではない
●不況による功罪
案外プラス面もある?!
豊かさの再定義
●個人の意識を保ちにくい環境が着々と整備されている
紛れ込んでしまうことの心地よさと危険性
●満員電車の中での「瞑想状態」「妄想状態」
ああいう時間っておもしろい
●都会パワーが自意識にもたらす影響、功罪
「人の力」は魅力だ
毒であり薬である
●東京と大分の「汚い面」「美しい面」
どっちが遅れてるんだか、進んでるんだかわからない
ぼけーっと、人の川を漂流しながら思った。
いや実はこれ、新しい変化ではなく
僕の変化による単なる気づきなのかもしれない
時を超えて東京は動き続けているね。
毎回行くたびに書くけど、
群衆の中で感じる孤独感がなんとも言えない。
好きだけど嫌い
嫌いだけど好き
追えば逃げ、離れれば引きつけられる
大きな真実と
勘違いが産まれるところ
東京はそういうところ
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