2015/01/09

九州島西海岸へ、商談&展覧会行ってきた

先日仕入の途中に立ち寄った九州芸文館では、
『2000年後のピラミッド』をやってました。
九州芸文館はJR筑後船小屋駅前にぽつねんとそびえる現代のピラミッド
さながらアートの棺という趣向でしょうか(^_^;)


「2000年後に発掘された現代社会」をテーマに制作活動を行う美術家・柴川敏之氏の展覧会。見慣れたあの品この品、あのキャラクターが2000年後に、赤さびた化石となって掘り出されたとしたら、こんな感じなのかなあ。。なんとなく人の営みの諸行無常を感じる展示でした。

併設レストラン「ななつ星」では、
展覧会に連動して、コラボメニューがありました
最近これどこでもやってるんですね
OPAMができたら、中央町の飲食店でもこういう企画ガンガンやってほしいなあ。。
「2000年後の発掘どんぶり」うまそうでした。
トロトロたまごあんの下にご当地名物の柳川のうなぎや、みやまの高菜、博多名物辛子明太子。。。その他もろもろが埋蔵されているそうで、
特製スコップ型のスプーンで掘り出して食べるのだとか・・・
残念ながら、お腹は空いてなかったので甘い物を。。(^_^;)



これは2000年後の地層パフェであります
またこれが、ものすご凝ってまして、
地表部にある焼きマシュマロをかわきりに、掘り進みますと次々と違った味を発見
食感も不思議で何を食べてるのか分からないけど美味しいという、未知なる体験ができます。

おじさんとても満足でした(^o^)
あちら方面行く方は
展示とあわせて、レンストラン「ななつ星」でご飯食べてみてください
※店名は、あの豪華列車とは一切関係がないとのことでした。
しょっちゅう同じ質問されるらしいです(^_^;)

2014/11/25

街と生きている感覚



1996年 セントポルタ中央町 180インチ16面マルチビジョン完成
2014年 撤去
長い間お疲れさま。。。

こいつとはいろんな想い出があります。
あの時一緒に汗と涙を流してくれた皆さんに感謝です。

これを読んでくれている方々の中にも
想い出がきっと残っているはずです。
たとえばこんな
http://www.coara.or.jp/~halsan/report/021102/

いま事務局太田くんが毎日
アーケード改修の様子を記録とってくれています。
彼はちょうど僕が、アーケードやマルチビジョン建設に関わった時と同じ年頃。。

32歳の僕もいろんな想いを込めてやってました。
http://www.coara.or.jp/~halsan/multi.htm

何割かは実現して何割かは進行中。。
まだまだ実現していないこともある。。

マルチビジョンは中央町から消えますが、
「街は舞台だ」は、若い世代の新しい取り組みによって、スタイルを変え続いています。
それがなにより嬉しいことです。

あの頃僕も夜な夜なヘルメットかぶって記録を撮ってたなあ。。。
まだフィルムでしたね(笑)
そうだ僕も、この手で今、消えていくマルチを撮っておかなきゃ。。。

ありがとう
マルチビジョン

2014/11/19

高倉健が逝った日に無声映画を見た



「映写用意・・・スタート!!」

活弁士 麻生八咫の凛として張りのある声が、モノクロに総天然色を超えるリアリティを吹き込んだ。

世情のうさを泣き笑いで昇華。
民衆の希望パワーは100年を経ても色褪せない。

高倉健の寡黙な後ろ姿の記憶と共に

不易なレトロスペクティブに
一礼した夜

2014/11/16

世界報道写真展行ってきた


今年もAPUのキャンパスに足を踏み入れた。
国際色豊かな学生さんたちを眺めているだけでも、ちょっと外国にいるような気分。
若さっていいなあと、、元気をもらう。

世界報道写真展。
いつもと同じ写真展の会場だけれど、ここ数年、
作品に変化を感じる。

機材の進歩もその理由のひとつとしてあるのだろう。
従来のカメラでは光量の差で一枚のカットに収まらないような光景や、高ISO、超広角、、魚眼、、さらにはドローンや防水ハウジングの低廉化で以前は観られなかったような視点からの展示作品が、年々「ふつうの光景」として増えている。

でも今年のポスターは機材技術でねじ伏せたような作品ではなく
事の深刻さを、じんわり伝えるような、印象深い作品だった。


一昨年、昨年と僕はそれをドラマチックな「劇画調」という風に感じていたのだけれど
今年はさらに内面に直接踏み込んでくる感じ。

キャパの当時、カメラマンはひとりの体験者として現場にあり、
代弁者として銃弾飛び交う戦場で命がけで撮ってきたブレボケ写真を通じて、
鑑賞者は迫真性を感じていた。

しかし今年は
どうやって撮影が行われたのか分からないシチュエーションや構図の作品が記憶に残った。

撮影者の存在すら感じさせない冷徹に現場を観察するような視点の作品
安全なところからの傍観者である私は
その鋭く冷めた視点が、ことの重大さ、恐怖、、、なにより「ばつの悪さ」を増幅させる。


最大の変化はテーマがより”身近”になってきているという感覚。
国と国の戦争ではなく、テロをはじめとする敵の見えない争い。

目に見えないストレス
地球の縮小。。。

凄惨な人と人、隣人同士の争いが、
平穏な精神を蝕む伝染病のように、身近に迫っている感覚に戸惑う。

これに関しては、報道写真展を見始めた頃10年前から予感としてあったのだが、
どんどん実感に変わってきていることに戦慄をおぼえる。


とても苦しいことだけれど世界報道写真展の作品群の80%は
「不条理」「崩壊」「混沌」。。。暗く重いテーマのもので構成されている
それが社会の実状なのだろう

会場の後半には、毎年瑞々しい自然、スポーツの感動、美しい瞬間などが展示されるのだが
その清涼感では、前半の重い作品の印象を払拭することはできない。

だが日々目にするマスコミコンテンツは、
刹那の清涼感で現実に目隠ししてしまう。


毎年、ここに足を運び
「現実から目を背けない」ということを忘れないようにする。

それが僕の世界報道写真展の鑑賞意義となっている。
アマチュア写真だって、ポエムだけを追うわけじゃないんだということ。

2014/11/11

心に愛が無ければ

最近の僕の気持ち

作品に共感できるか出来ないかは、
詰まるところ作者が好きかそうでないかを見極めるってところに行き着くことになる。。。

作品を通してヒトを見ているようなところがある。
ヒトと良い縁を結ぶために作品と交信している。
良い出会いを待っているということでもある。

作者を存じ上げない場合でも、惹かれる作品に出会えば、自然に敬意がわく。
作品にこちらが勝手にイメージする人柄を投影してるということ。

実際お会いして話をして、イメージどおりであれば幸甚の至り。
作品のイメージに惹かれて、作者と話をしているうちに 陰ってくることもあったり。。
イメージが外れれば、甚だ勝手ながらそこまで。。

作者とのノリソリで、伝わってくるものの量が決まる。
すごく傲慢な恐ろしい事を書いているけれど、ある種嗜好品だから勘弁してね。

美味しいモノを食べるのは、好きなヒトとの時間を共有するため。
作品鑑賞は、人生を豊かにする人物との出会いを求めているのも同じだから。

でもヒトにはバイオリズムもあるじゃない?
だから日々思い直して予断を持たず、新しい精神で人と接する。
作品と対峙する。。。難しいけれどそうあろうと思っている。

早くも、そぞろ神のささやき。。。

小説読んで映画観ると、なんか褪せて見えるように、
人が作品にした光景を観た後で、同じ場所を訪ねても、
なにかしっくりこないということがよくある。

良くも悪くも真っ新な記憶領域は 
初めて出会った刺激の影響を受けて染まってしまう。

人が良いという所に足を運んで共感する体験も必要だけれど、
むしろ自分で気がついたものが一番美しいのだという自信は、
もっと大切なこと。

与えられる光を観る観光ではなく、自分で光を見つける観光をしよう。

または、光を見つける力(感覚・価値観)をつけること、つまりそれは日々の生活から
既に旅は始まっているのだなあ。。。という事を自然に感じる歳になったみたいです。

行きこう年も又旅人なり

毎日バタバタ、ドタバタ雑音に中で暮らしているけれど、忘れないでおこう。

2014/10/18

山口県展を見に行ってきた

一昨日16日、、、山口県美術展に行ってきました。大分では日洋彫工 書写 写真と部門が分かれて審査/展示が行われますが、山口ではジャンルの垣根をこえて3人の審査員の合議で審査と言う形式をとっているそうです。

会場に入るなり、平面作品立体作品 織り交ぜながら独創的大型作品がずらり。作品1点1点から伝わる気迫に感動します。それぞれの作品力ですね足を停めて見入ってしまいます。 

係の方に「出品数359点に対し入選が113と書いてありますが、他は落選。。ということですか?」と尋ねたらさらっと、「はい、そうですが、何か?」という表情。。(^_^;)
はいそうですね。それがあるからこの粒ぞろいの展覧会の空気が生まれるのでしょうね。。

入選113点から大賞1優秀賞5佳作27が選ばれていますが
全国の美術イベントで活躍されている見覚えのある作家さんの作品がありました

審査にかかわらず必ず何かを掛けてもらいたければアンデパンダンまたは、県民こぞって参加のアート文化祭としてやればいいのですから。

アートにも高みを目指すものと裾野を広げていくモノがあるのだと思うし

その両方がそれぞれクルマの両輪として機能し。。
密度を増し深さを増していくことで、ほんとうの県としてのアート水準向上があるのだと思います

山口県のイメージがかわりました
中世 中国の覇者毛利氏の繁栄 はたまた幕末〜明治文明開化期に中心的役割を演じた長州藩の威光が大いに働いているように感じました

歴史に裏打ちされた層の厚み一朝一夕には生まれませんが
OPAM誕生を機に、大分も新しい文化の風が吹くことは間違いないですね
さてこの風を、僕たち県民、市民はどう感じどう変わっていくか

ひとりひとりが考えて見ると
来年以降がいっそう楽しみになります。。。。