2014/11/16
世界報道写真展行ってきた
今年もAPUのキャンパスに足を踏み入れた。
国際色豊かな学生さんたちを眺めているだけでも、ちょっと外国にいるような気分。
若さっていいなあと、、元気をもらう。
世界報道写真展。
いつもと同じ写真展の会場だけれど、ここ数年、
作品に変化を感じる。
機材の進歩もその理由のひとつとしてあるのだろう。
従来のカメラでは光量の差で一枚のカットに収まらないような光景や、高ISO、超広角、、魚眼、、さらにはドローンや防水ハウジングの低廉化で以前は観られなかったような視点からの展示作品が、年々「ふつうの光景」として増えている。
でも今年のポスターは機材技術でねじ伏せたような作品ではなく
事の深刻さを、じんわり伝えるような、印象深い作品だった。
一昨年、昨年と僕はそれをドラマチックな「劇画調」という風に感じていたのだけれど
今年はさらに内面に直接踏み込んでくる感じ。
キャパの当時、カメラマンはひとりの体験者として現場にあり、
代弁者として銃弾飛び交う戦場で命がけで撮ってきたブレボケ写真を通じて、
鑑賞者は迫真性を感じていた。
しかし今年は
どうやって撮影が行われたのか分からないシチュエーションや構図の作品が記憶に残った。
撮影者の存在すら感じさせない冷徹に現場を観察するような視点の作品
安全なところからの傍観者である私は
その鋭く冷めた視点が、ことの重大さ、恐怖、、、なにより「ばつの悪さ」を増幅させる。
最大の変化はテーマがより”身近”になってきているという感覚。
国と国の戦争ではなく、テロをはじめとする敵の見えない争い。
目に見えないストレス
地球の縮小。。。
凄惨な人と人、隣人同士の争いが、
平穏な精神を蝕む伝染病のように、身近に迫っている感覚に戸惑う。
これに関しては、報道写真展を見始めた頃10年前から予感としてあったのだが、
どんどん実感に変わってきていることに戦慄をおぼえる。
とても苦しいことだけれど世界報道写真展の作品群の80%は
「不条理」「崩壊」「混沌」。。。暗く重いテーマのもので構成されている
それが社会の実状なのだろう
会場の後半には、毎年瑞々しい自然、スポーツの感動、美しい瞬間などが展示されるのだが
その清涼感では、前半の重い作品の印象を払拭することはできない。
だが日々目にするマスコミコンテンツは、
刹那の清涼感で現実に目隠ししてしまう。
毎年、ここに足を運び
「現実から目を背けない」ということを忘れないようにする。
それが僕の世界報道写真展の鑑賞意義となっている。
アマチュア写真だって、ポエムだけを追うわけじゃないんだということ。
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