僕は写真をあまり見直さない。
その場所にいて,見た光景に気持ちが動いて撮る。
撮っただけで満足してるところがあって
昔のフィルムもあまり残っていない
(捨ててはいないはずだけど、どこにいってしまったのか分からない)
デジタルになって枚数も増えたので、よけい整理できていない。
もちろん片付けが悪いというのもあるんだけれど、
それだけじゃないんです。
撮った時の気持ち
セレクトするときの気持ち
時が経って見るときの気持ち。。。全部違うのです
僕が撮ったものだし、その記憶は確かにあるのだけれど
撮った時の気持ちとは違うモノになっている。
気持ちの変わり方にもいろいろあって
たいした感慨もなく撮ったモノが、後でよく見えてみたり
すごく鮮明に感動した記憶が残っているのに、つならない写真に見えたり
写真の虚しさかなあ?
けっきょく偶然の産物なんだろうか?
そのときは、一生懸命撮っているんですけどねえ。
でも、時間が経つと思いも変わっている
ということは
意図して産み出した作品ではない?
ちょっと寂しかったりします
切ない、、刹那い。。。
変化する自分を、写真をとおして感じる
そのために、写真は有るという意味では
すごくありがたい。
世に言う「アート」にはなり得ないものなのかもしれませんね
自分のための写真だということです。
これからも生き続けるすべて大事な記憶です
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