2014/08/23

初日。ホドロフスキーの「リアリティのダンス」観てきた。

夢の中のようなセット、メルヘンチックな色彩。
セリフには様々な暗喩が仕込まれていて、
昔、下北沢で観た芝居の世界のようだった。

生きることの切なさ、人生のペーソスをドラマとして見せながら、
全ての人を優しく励ましてくれる。

人はみんな、自分が立てた「正しさの仮説」と闘いながらもがいているのかもしれないね。。。救われたいんだよね。
確証が欲しいんだけど、そんなものは何処にも無い。

自分を信じて「大事なモノを確かめ、守りながら、前に進みなさい」と言ってくれたような気がした。

映画館を出て、余韻が薄まらないように、真っ直ぐ家に帰った。

2014/05/24

Omnia vincit Amor.:「愛はすべてに打ち勝つ」

数年前NHKの番組です。
画家バルテュスの娘 ハルミさんが「絵を描くなら日本の書を学べ」と言った父の言葉をたどって日本を訪れ、書の世界・精神を体験するというような内容でした。

またどこかで見た篠山紀信の作品で、
王か司祭かかのような衣をまとい、古城を自宅としていたバルテュスのポートレイトは不思議な魔力を漂わせていました。
窓から薄い光に浮かびあがるのアトリエの風景も
夢か現か見分けが付かないような倒錯したフォーカス。。
篠山紀信ぽくなくて、とても心に残っていたのです。

絵画作品は見たことありませんでしたが、気になる画家バルテュス。
その実物に会えるという事で東京出張の最終日、上野で開催中のバルテュス展に行ってきました。

行って大正解でした。

揺らぎ、迷い、不安は、現代のキーワードだと感じていますが、
バルテュスの時代にも漂っていた空気なんでしょうね。
その中で、脆く儚い美の極み。
その瞬間の光を真摯に激しく追い求めた生涯の画業をたどりながら
彼の哲学を垣間見ました。

今回もたくさんの示唆をいただきました


http://balthus2014.jp/

2014/05/06

完全なものって

巨大構造物を見ると感じる憧憬と畏怖。

巨大モニュメントは、「時代の価値観」「栄光・繁栄」を讃えるシンボルとして造られるのだろうけれど、時を経ると、建立当時の判断を検証するような全く違う不思議な力を発する。

歴史のズレを見える化する装置・・・いや、ヒトの決断というモノがいかに「儚い思い」かということを突きつけてくれる。

モニュメント、メメント。という言葉に交わる 哀しさ、虚しさ。

モニュメント。
造った瞬間に朽ち始め、維持のために心を砕き繁栄の原資を蝕み、汲々と闘わざるをえない怪物
時を経ても価値や意義がブレないモニュメントを造るということは、ある意味 、、「  」への挑戦。

不朽・無謬を信じる者に無言の戒めを与える「 」の化身
自らのあるべき様に気付きの機会を与える「 」の使者

大きな体躯のピエロ。はたまたトリックスター
http://www.huffingtonpost.jp/2014/04/29/spomenik_n_5230953.html?utm_hp_ref=japan-world

始めたことは終わる。
写真は誰のため何のために撮るのか?
もちろん自分。

それだけ。。。?!

2014/04/06

両郡橋にて

立派な桜の木だけれど、写真を始めるまで、わざわざ行ってみようとまでは思わなかった場所。たくさん有ります。


実際そこに行くと場所が醸す空気感で、離れて見るのとは全く違った印象を受けます。

ここの場所に刻まれたいろいろなものを担って桜は咲いている。


両郡橋の桜は、見事な枝ぶりと花付きで有名ですが、なにかもの憂げ。僕は自分の春の愁をこの場所と重ねて撮るが好きです。


先日、ここにかつて癆病院があったと聞いて、なんとなく、気持ちとこの場の空気が符合しました。

哀しい跡形は今は門柱を残すのみ


眼下には雄大な別府湾の海と空が広がって

今では、子供連れやカップルで賑わう最良のお花見スポットになっています。


夕暮れ時

ここからは、別府の明かり大分の灯りが見えます。家族の待つ家を思いながら、命の限り精一杯。気高く咲く花


今年も咲き散っていきます。


生々流転  また来年



Flickrに新しく1 枚の写真を投稿しました(^^)/ http://ift.tt/1q4siFK April 06, 2014 at 08:49AM

2014/03/12

3年前

3年前、あの翌日も良い天気だった。

穏やかな波のない海、青い空。
ニュースではメルトダウンという事にも言及し始めていた。


便を求めて通常以上に多くの乗客でごった返す空港内
しかし音が無い。静まりかえっていた。

羽田から対岸に見える木更津のコンビナートが燃えている。
黒煙が青空を濁らせていた。
現実なんだと、思い知った。

2014/03/11

料理好きと写真好き

食材と包丁さばき。モチーフと撮影技術。。。。

これを組み合わせると、よい料理、よい写真作品ができるのかというと、そう単純なものではないようです。「よい」というのは、多くの人が評価した結果だし、その評価というのも漠とした物だし。


それ以外に、、というかもっと大きな要素は作り手の塩梅、心、受け手との交信・・・などが働きます。

そう考えてくると、あまりにも空を掴むような話になってしまって、「よい」なるものの値打ちとは何なのか???さっぱりわからなくなっていきます。

「よいは無いのだ」。ということを、先ず創り手送り手のもとに取り戻さないといけないなと、つくづく思います。



2014/03/09

テロの種はどこの誰の中にもある


突然前触れも無く消息不明。。。その後の発表も無し。
海面に油、、、燃料切れ予定時刻をすでに16時間超過
まだ断定はできないけれど所謂「テロ」なのだろう。

テロとは被災する方が名づけた言葉。
実行する方からは、全く違う意味づけ言葉付けがなされる。

しかしそれが圧制下におかれている人々がその窮状を「国際社会」に訴える手段だとしても、無辜の民の命を奪うことは、主張の正統性をも自ら破壊してしまうコトになるんじゃないかと。。。

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先日の昆明駅で起きた無差別殺傷事件を、米メディアが『恐ろしく無意味な暴力行為:Horribly senseless violence』という言葉を使ったらしい。テロという言葉を使う事をためらったようだ。

それに対して中国サイドは、9・11を『残念な交通事故』と応酬したらしいが、僕も9・11と中国絡みで起きるこれら事件を同じ「テロ」という言葉で括ることに少し違和感を感じるのは確かだ。
別の見え方があることは分かっている。でも自分の立ち位置からしか物事を見られないのかと情けなくも思う。

それをイデオロギーとか言ってしまうと簡単なんだろうけれど、
たぶんこの言葉の違和感・感じ方のズレの中に「テロ」の根っこは隠れているのだ。

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前触れも無く音信不通
詳しい説明もない。返答無し。結果無し。
残された者の心にはぽっかりと空洞。。。


細かな差違を尖鋭化させていけば破局しか無い。
同じ苦しむなら尖ったところを付き合わせず、包容しあう方に努力した方が損害は少ないし、最大幸福に近づいていけるハズ。。。そんな事は、子どもでも知っている。

頭では分かっていてもできないのが人間の限界というか業なのだろう。

苦しいのはイヤ。
楽な方に、手っ取り早い方に。。。人とは弱いもの。

今のところ我が国にとっては対岸の火事だけれど、集団的自衛権について熟考しておかないと、いや覚悟しておかないと、このイデオロギーの衝突に巻き込まれる事になる。

戦争だとかテロだとか、そんな言葉がローカル新聞に載るのは異常な事だという大前提を壊さないでほしい。

僕はただ心穏やかに暮らすだけで、もう十分だ。十分だ。

そう思えるようになりたい。
努力しようと思う