2014/03/09

テロの種はどこの誰の中にもある


突然前触れも無く消息不明。。。その後の発表も無し。
海面に油、、、燃料切れ予定時刻をすでに16時間超過
まだ断定はできないけれど所謂「テロ」なのだろう。

テロとは被災する方が名づけた言葉。
実行する方からは、全く違う意味づけ言葉付けがなされる。

しかしそれが圧制下におかれている人々がその窮状を「国際社会」に訴える手段だとしても、無辜の民の命を奪うことは、主張の正統性をも自ら破壊してしまうコトになるんじゃないかと。。。

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先日の昆明駅で起きた無差別殺傷事件を、米メディアが『恐ろしく無意味な暴力行為:Horribly senseless violence』という言葉を使ったらしい。テロという言葉を使う事をためらったようだ。

それに対して中国サイドは、9・11を『残念な交通事故』と応酬したらしいが、僕も9・11と中国絡みで起きるこれら事件を同じ「テロ」という言葉で括ることに少し違和感を感じるのは確かだ。
別の見え方があることは分かっている。でも自分の立ち位置からしか物事を見られないのかと情けなくも思う。

それをイデオロギーとか言ってしまうと簡単なんだろうけれど、
たぶんこの言葉の違和感・感じ方のズレの中に「テロ」の根っこは隠れているのだ。

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前触れも無く音信不通
詳しい説明もない。返答無し。結果無し。
残された者の心にはぽっかりと空洞。。。


細かな差違を尖鋭化させていけば破局しか無い。
同じ苦しむなら尖ったところを付き合わせず、包容しあう方に努力した方が損害は少ないし、最大幸福に近づいていけるハズ。。。そんな事は、子どもでも知っている。

頭では分かっていてもできないのが人間の限界というか業なのだろう。

苦しいのはイヤ。
楽な方に、手っ取り早い方に。。。人とは弱いもの。

今のところ我が国にとっては対岸の火事だけれど、集団的自衛権について熟考しておかないと、いや覚悟しておかないと、このイデオロギーの衝突に巻き込まれる事になる。

戦争だとかテロだとか、そんな言葉がローカル新聞に載るのは異常な事だという大前提を壊さないでほしい。

僕はただ心穏やかに暮らすだけで、もう十分だ。十分だ。

そう思えるようになりたい。
努力しようと思う

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