2010/03/26

繋がっているということ


視野狭窄
Originally uploaded by h@lsan
ヒトとヒトの繋がりって
目には見えないけど、すごくありがたいもの。
支えになってるんだよなあ。

クリックひとつで
つないだり、切ったり
できるもんじゃないと思ってる。
いや、そうありたいと祈ってる。

下手に見えない方がいいね。
目に見えるものの方が嘘が多かったりする。
錯覚起こしてしまう。

コンピュータによって、真実以上に訴求力のある嘘が
簡単に作れるようになった。

ヒトの縁までITは
システマティックに切ったり繋げたりしてしまいそうだ。

いや、できると錯覚している人たちもいるかもしれない。


言葉も「質より量」が幅を利かせている
本当の事より耳触りの良さの方が重視されている

慇懃無礼と懇切丁寧の境目なんてのは興味の外。
もはや過去の遺物

本質の軽重ではなく、表面の巧拙
インパクトの軽重で、測られる時代。

バレない嘘が許される今の世の中にあって

何を信じていればいいんだろうね・・・


ネットによって確かにつながり易さは増していく。
機会が増すのはすばらしいことだと思う。

だけど便利さと引き替えに
ホンモノを見極めることがさらに難しくなっていくんだろうね


技術の発展に
人間本来の進歩は追いついていないのは、もうずいぶん前からだけど

どんどん失っているものが増えているように感じるのは
僕が立ち止まっているからかなあ。。。

いいんだろうか?

しかたないのかね?

憂いながらも、
置いてきぼりなっていくような
不安を感じるよ

この「不安」「ゆらぎ」はある意味テーマだとこの頃感じてる。
1日は、昔も今も24時間
ヒトの一生は昔も今も、有限

情報を得る機会は増えている
欲しいモノも増えている

不満の原因は取りこぼすモノが
増えているように感じてしまうから。

取りこぼしているモノのうち
拾う必要のないモノの率は昔より増えているんだから
なにも心配はないのかもしれない。

それよりも、なによりも。。。
拾う必要の無いモノに紛れて

大切にしなくてはいけないものを
取りこぼさないようにしたいなと、強く思う。

0 件のコメント: