裏halフリッカーから「ご飯写真」を取り出してみた。
「家でメシ食ってんのか?」と複数に言われたのでちょっとショック だけど、その感想もしかり、まそういう感想しか引き出せないということ。
旨そうにも見えなかったんだと思う。
呆れさせてしまうというのは、感想もなるほどと思う。
で思った。
なんでご飯の写真を撮りたいのか?!
理由は?
「記憶の増幅」「時間共有意味の蒸留」
せいぜい、「幸福感のシンボル」として。。くらいのものだった。
でも、こんなやりかたじゃ、けつまらん
既に鮮度が落ちている。
食堂の蝋細工サンプルと同じだ
無意味さの集大成、醜大成になってしまう
今回
ちょっとオーバーだけど雷にうたれたような衝撃
大きな気づきを得た。
すごくいい経験
「情念的配置」と「標本的羅列」の違いだああ!
はっきりわかった 。
時間が経っても変質しないご飯写真の集め方考えてみる
具体的方法はわからないけど、変われる予感を感じた。
ただ集めるだけじゃ薄い薄い つまんねえええええ
だけど。。。撮るときはいつも、早く食べたいんだなあ・・・
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