2015/12/25

誇り高き化石か、消費される先駆者か

スマホだけじゃなくて
デジタルサイネージも含めて
縦長画面に触れる機会が増えてきてる。

モバイルで動画を見てもらう場合
縦長映像は横長と比べて9倍
最後まで見てもらえる率が高まるという調査があるらしい。

なるほど持ち歩く画面を意識した絵つくりかあ

動画は横位置という
固定概念がとりはずされていくね

スマホの普及で
少なからず写真にもこの影響は出てきている。

構図ありき、送り手主導で
縦位置 横位置を決めていた時代から、
受け手環境に馴染みやすい対応

かつてオーディオセットの前に対峙して
ありがたく音楽を聴くのが普通だったが、
今や場所を選ばずHi-Fi音楽鑑賞をする時代になった。

その事で聴かれる音楽の内容にも影響は出ているのではないだろうか?


額に入った写真や
テレビの前まで足を運んで鑑賞する事だけが
映像・写真鑑賞だ、などと固まった感覚でいるとあっという間に置いてきぼりをくらうだろうな

鑑賞者におもねった、
主体性のない創作も空しく消費され流されていくだろう

こんな時代にあって
アマチュアはどう行動していくか

ひとりひとりの
考え方が問われる

2015/11/20

写真家のミッション

報道写真の世界では
演出と加工の境目を
「芸術性と不正」という視点で再考察をはじめたようだ


もしかしたら報道写真に対する考え方、姿勢が
改めて見直されるきっかけになるかもしれない

確か3,4年前から急に
世界報道写真展に並ぶものに変化があったのを感じた。
その事は当時の感想で書いたけれど

一言で言えば整い過ぎということだ。

キャパや、一ノ瀬が撮ったブレやボケを受け入れ
それを超える衝撃的臨場感を捉えた一瞬というのではなく

デジタル技術で作り出したヒトの目以上の光景

戦場の廃墟に差し込む光が
カテドラルの中の光芒のように演出される
ドラマ性を高める効果はあるけれど、
事件のリアリティをスポイルしているように感じていた。

目の前で起きていることを抒情的に創り上げる写真と
事実を克明に記録し、迅速に伝える写真。。。

使命の違う写真があって
受け手はそれを峻別して
鑑賞眼をスイッチしながら摂取するスキルが求められる

アマチュアの作品にも
もっと時代と同期して変化を取り込む刺激のきっかけが欲しいところ

旧態依然とした価値観の淀みの中で
漫然と過ごしていてはならない

デジタル写真を否定する事で
自分の相対的価値を守ろうとした世代は10年の時間の流れで自然淘汰されたように

撮影機材のみならず
これからは
展示メディア
鑑賞ツール
鑑賞環境も可能性が広がってくるだろう

我々アマチュアのミッションは
報道写真家とは全く違うものがある。

ツールや環境の
いかなる変化をも柔軟に吸収しながら
自由に思索発信できる創作空間でありたいものだ。

2015/09/28

時間よとまれ

日頃から心のどこかにある感覚

写真を撮る事と
物を見る事は、
両方同時には成り立たないのだという実感。

ファインダー越しの景色には、
感動を内面に溜め込む作用を期待してる

肉眼の景色からの感動は
周囲との双方向性が魅力
いろんな作用反作用が嬉しい。


三脚まで持ち出して
ヒトが撮らない月をモノにしてやろうとギラギラするのも写真。

iPhone片手にそぞろ歩きながら
心を動かされた瞬間を手折るのも写真

画質だ構図だ色だというのも楽しいけれど
手元に残るのは、写真という外部記憶でしかない

それより大切なものを
取りこぼしたのではないかという焦りの感覚は起こりはしないか?


今この時しか無い瞬間をちゃんと
肉眼で見て感じておく事の大事さ・・・


入学式、卒業式、運動会は
カメラで残したい派と肉眼で心に刻みたい派が居る

遠い国まで旅をして
写真を撮らないなんてというヒトと、写真なんか撮ってるヒマないでしょというヒトがいる。

今この瞬間はもう2度と来ないという気持ちがあったら、どっちを取るか?

足跡を遺したい派は写真
自分とともに消したい派は肉眼

忘却を怖れて
永遠という言葉に憧憬を持つか

自然の流れに身を委ね
刹那の儚さに浪漫を感じるか

ある意味究極の選択

生き方の問題。

ファインダー越しでは感じられない
もっと密着したくて
勿体なさすぎて・・・

そんな夜も今は過去。

2015/08/15

生きるという事の意味

お盆  御施餓鬼 ・・殺生
お寺で聴く「六道」講話の話が
戦時中の極限状態と重なる。

きっと仏教が生まれた頃の世の中は、生き死にが、日々の生活と近い所にあったのだろう。

翻って日々の僕の暮らし
仕事・使命・目的…

生きるという事の意味
人間でいられる為の条件…

自分で勝ち取ったわけでもなく
明日も有ると思っている
日々とは何か。。

映画「野火」を観た

お盆休み、少し時間がゆったり流れている間考えてみたいと思う。

脳内BGMは
モーツァルト レクイエムより『Dies irae』

生きるという事の苦しみは洋の東西を問わず。。。今日の平和に感謝



映画「野火」を観た

お盆休み、少し時間がゆったり流れている間考えてみたいと思う。




2015/07/21

Nadegata Instant Party に出会った

鑑賞したり、解説を聞いて理解するというアートもいいけれど、
自分から飛び込んでいって感じとるのも楽しみ方のひとつとして重要だなあと思いますね。
まさにトイレンナーレ
「一歩前に!」の精神!
なるほどです(^o^)


評価が定まったり、有名だったりするものを、
頂いて有り難がるだけがアートジャナイなという実感はあったけど、
アーティストの世界観に、体験者として溶け込んで行くというのは思い白い!
おおいたトイレンナーレのファイナルイベントがセントポルタ中央町の入り口にあるWING屋上で開催されることが決定したようです。
場所は決まってるけど、どんなモノができ、どんなコトが起きるかは、どんなヒトたちが集まって面白がりながら、どんな盛り上がり方するかで決まる感じ
これに関わって、楽しもうというヒトのミーティングは
9月5日にやるそうです。
それから3週間いろいろなドラマが生まれそう
9月の連休19日から23日の5日間がファイナルイベント!!
Nadegata Instant Party《ルーフトップ・メーリーゴーランド》
に巻き込まれて楽しんでみませんか!
おいちゃんも
楽しみにしてるよ(^o^)

2015/06/14

いつもありがとうございます

絶望的になるほど漫然と馬齢を重ねて早51年。昨日は誕生日でした。

本人の無自覚とはウラハラに
いろいろ山あり谷あり、結果オーライで、今日まで楽しく人生を過ごさせて頂いているのは、私の様な曲者と日頃お付き合いして頂いている皆様のお陰と深く感謝しております。

次の一年も
皆様から頂く日々の「こころ付け」に対し感謝を忘れず、気付きを無駄にしないよう過ごしたいと思います。

これからも、どうぞよろしくお願い致します。

ありがとうございます。

2015/06/08

「美しいもの」

資生堂のCMに出てた頃の印象はサイボーグっぽい人だなあという感じだけだった。
いや彼女がオリジナル。
サイボーグデザインが彼女を真似たのかもしれない。
だんだんこっちも歳を重ね美しさの物差しが変わっていく。
すると
価値観も変わり、彼女の見え方も変化した

そして先日東京での展覧会で、
生い立ちや多彩な活動、功績を辿って知る機会を得てからは、神々しくさえ見えてきた。

相田みつをさんの言葉を思い出した
「美しい花を見た 美しい花は美しい枝についている  美しい枝は美しい幹についている 美しい幹は美しい根っこが ささえているにちがいない」
有形無形の美醜の集積が人を形作っているとするならば、

「美しさ」というのは、見かけだけでは成立せず、内面奥深くから滲み出てくるモノなのだろう

さらに、関わる人を巻き込んで 尊敬、心酔、憧憬が伴わないと薄っぺらいものになるのだろう。



専門家が美しいと言うからとか、
みんなが美しいと言うからとか、
ブランドだとかで、有難がるのはもうやめよう
好きか好みでないか。
それは自分で決めるもの。
美しいものを追い求め、
近づく資格が自分にはあるか?

これはたぶん永遠の自問自答
これもシネマ5向きだよね(^.^)