2014/10/18

山口県展を見に行ってきた

一昨日16日、、、山口県美術展に行ってきました。大分では日洋彫工 書写 写真と部門が分かれて審査/展示が行われますが、山口ではジャンルの垣根をこえて3人の審査員の合議で審査と言う形式をとっているそうです。

会場に入るなり、平面作品立体作品 織り交ぜながら独創的大型作品がずらり。作品1点1点から伝わる気迫に感動します。それぞれの作品力ですね足を停めて見入ってしまいます。 

係の方に「出品数359点に対し入選が113と書いてありますが、他は落選。。ということですか?」と尋ねたらさらっと、「はい、そうですが、何か?」という表情。。(^_^;)
はいそうですね。それがあるからこの粒ぞろいの展覧会の空気が生まれるのでしょうね。。

入選113点から大賞1優秀賞5佳作27が選ばれていますが
全国の美術イベントで活躍されている見覚えのある作家さんの作品がありました

審査にかかわらず必ず何かを掛けてもらいたければアンデパンダンまたは、県民こぞって参加のアート文化祭としてやればいいのですから。

アートにも高みを目指すものと裾野を広げていくモノがあるのだと思うし

その両方がそれぞれクルマの両輪として機能し。。
密度を増し深さを増していくことで、ほんとうの県としてのアート水準向上があるのだと思います

山口県のイメージがかわりました
中世 中国の覇者毛利氏の繁栄 はたまた幕末〜明治文明開化期に中心的役割を演じた長州藩の威光が大いに働いているように感じました

歴史に裏打ちされた層の厚み一朝一夕には生まれませんが
OPAM誕生を機に、大分も新しい文化の風が吹くことは間違いないですね
さてこの風を、僕たち県民、市民はどう感じどう変わっていくか

ひとりひとりが考えて見ると
来年以降がいっそう楽しみになります。。。。


2014/09/20

喜びも哀しみも、すべては自分の内に。

某日の昼間。行き先を告げずに店を抜け出すという。背徳感漂う甘美な3時間を過ごしてきました。

映画「大いなる沈黙へ」
予告編を観た時から絶対行くことになるなと思ってたのですが、間に合って良かった。
時間作れて良かったです。

薬草系苦味酒の好きなヒトには定番の、シャルトリューズ。
亡くなった老マスターが教えてくれた、
「修道士たちが130種類の薬草を使って100年かけて生み出した長寿の秘蔵酒。」というエピソード。
この酒へのロマンを膨らませてくれます。僕のお気に入りの一つです。

グランド シャルトリューズ 修道院はまさにこの映画の舞台。。
まあ、、ですけど、映画に酒造りは表面的には関係してません。^_^;
だけど僕には大事な要素。
お酒と映画はともに、「夢見あそびの宝箱」ですから。。

さて、この映画
BGMもナレーションも無い3時間弱の長編

粛々淡々と、続く黙祷。。。世の中の雑事を払いのけて、神の姿を求めつつ
ひたすら自分と対面する 静謐無音の連続。。。
有るのは小鳥の鳴き声、小川のせせらぎ、修道士たちの音にならない祈りの呟きと衣擦れの音だけです。

静かな時間が続くので、観ているうちに、永平寺での只管打坐の体験が甦ってきました。
なんでしょうねえ、あの内なる泉が活性化する感覚。
元気が湧きます

映画とともに内観をつづけると、突如、静寂を打ち破る 鐘の音にホッとこの世に戻って
方向修正、そしてまた祈り、、、疑似修道体験です

食事や作業を通じて、命のありがたさと豊かさの再確認をさせられたり。。。
気づきの連続です。

Simple is the best.

時おり画面に聖書の一節が表れて、観るものに問いかけてきます。
修道士たちの日常を疑似体験することでいろんな事が想起されます。

与えられた豊かさでは、幸せになれない。
多くを求めるから、苦しみも生み出すのだという、欲と業にまみれて疲れ果て流されている現代人の日常とは、
全く違う「豊かさ・幸福の物差し」を啓示された様な気持ちがしました。

僕ら、持っている物を一旦置いてみる勇気を試されていますね。
幸不幸の元は自分の中にあるのだということ。
世界の見え方も自分が決めている。いわんや自分そのものも。。。

3時間弱
もちろん答えなんか得られませんが、とっても良い時間を過ごさせてもらいました。





映画の最初と見終わった後で、この一節から受ける印象、変わりました。


2014/08/23

初日。ホドロフスキーの「リアリティのダンス」観てきた。

夢の中のようなセット、メルヘンチックな色彩。
セリフには様々な暗喩が仕込まれていて、
昔、下北沢で観た芝居の世界のようだった。

生きることの切なさ、人生のペーソスをドラマとして見せながら、
全ての人を優しく励ましてくれる。

人はみんな、自分が立てた「正しさの仮説」と闘いながらもがいているのかもしれないね。。。救われたいんだよね。
確証が欲しいんだけど、そんなものは何処にも無い。

自分を信じて「大事なモノを確かめ、守りながら、前に進みなさい」と言ってくれたような気がした。

映画館を出て、余韻が薄まらないように、真っ直ぐ家に帰った。

2014/05/24

Omnia vincit Amor.:「愛はすべてに打ち勝つ」

数年前NHKの番組です。
画家バルテュスの娘 ハルミさんが「絵を描くなら日本の書を学べ」と言った父の言葉をたどって日本を訪れ、書の世界・精神を体験するというような内容でした。

またどこかで見た篠山紀信の作品で、
王か司祭かかのような衣をまとい、古城を自宅としていたバルテュスのポートレイトは不思議な魔力を漂わせていました。
窓から薄い光に浮かびあがるのアトリエの風景も
夢か現か見分けが付かないような倒錯したフォーカス。。
篠山紀信ぽくなくて、とても心に残っていたのです。

絵画作品は見たことありませんでしたが、気になる画家バルテュス。
その実物に会えるという事で東京出張の最終日、上野で開催中のバルテュス展に行ってきました。

行って大正解でした。

揺らぎ、迷い、不安は、現代のキーワードだと感じていますが、
バルテュスの時代にも漂っていた空気なんでしょうね。
その中で、脆く儚い美の極み。
その瞬間の光を真摯に激しく追い求めた生涯の画業をたどりながら
彼の哲学を垣間見ました。

今回もたくさんの示唆をいただきました


http://balthus2014.jp/

2014/05/06

完全なものって

巨大構造物を見ると感じる憧憬と畏怖。

巨大モニュメントは、「時代の価値観」「栄光・繁栄」を讃えるシンボルとして造られるのだろうけれど、時を経ると、建立当時の判断を検証するような全く違う不思議な力を発する。

歴史のズレを見える化する装置・・・いや、ヒトの決断というモノがいかに「儚い思い」かということを突きつけてくれる。

モニュメント、メメント。という言葉に交わる 哀しさ、虚しさ。

モニュメント。
造った瞬間に朽ち始め、維持のために心を砕き繁栄の原資を蝕み、汲々と闘わざるをえない怪物
時を経ても価値や意義がブレないモニュメントを造るということは、ある意味 、、「  」への挑戦。

不朽・無謬を信じる者に無言の戒めを与える「 」の化身
自らのあるべき様に気付きの機会を与える「 」の使者

大きな体躯のピエロ。はたまたトリックスター
http://www.huffingtonpost.jp/2014/04/29/spomenik_n_5230953.html?utm_hp_ref=japan-world

始めたことは終わる。
写真は誰のため何のために撮るのか?
もちろん自分。

それだけ。。。?!

2014/04/06

両郡橋にて

立派な桜の木だけれど、写真を始めるまで、わざわざ行ってみようとまでは思わなかった場所。たくさん有ります。


実際そこに行くと場所が醸す空気感で、離れて見るのとは全く違った印象を受けます。

ここの場所に刻まれたいろいろなものを担って桜は咲いている。


両郡橋の桜は、見事な枝ぶりと花付きで有名ですが、なにかもの憂げ。僕は自分の春の愁をこの場所と重ねて撮るが好きです。


先日、ここにかつて癆病院があったと聞いて、なんとなく、気持ちとこの場の空気が符合しました。

哀しい跡形は今は門柱を残すのみ


眼下には雄大な別府湾の海と空が広がって

今では、子供連れやカップルで賑わう最良のお花見スポットになっています。


夕暮れ時

ここからは、別府の明かり大分の灯りが見えます。家族の待つ家を思いながら、命の限り精一杯。気高く咲く花


今年も咲き散っていきます。


生々流転  また来年



Flickrに新しく1 枚の写真を投稿しました(^^)/ http://ift.tt/1q4siFK April 06, 2014 at 08:49AM

2014/03/12

3年前

3年前、あの翌日も良い天気だった。

穏やかな波のない海、青い空。
ニュースではメルトダウンという事にも言及し始めていた。


便を求めて通常以上に多くの乗客でごった返す空港内
しかし音が無い。静まりかえっていた。

羽田から対岸に見える木更津のコンビナートが燃えている。
黒煙が青空を濁らせていた。
現実なんだと、思い知った。