あの多感でイライラな時期に、するっと読めない日本語で書かれたモノにどういう風に向き合ったか?
僕はある意味、あの暗号めいた文章のおかげで救われたひとりだと思う。
文法もながら、まず経験不足のために、するっと読めなかったおかげで、想像力を働かせて、
未来予想と社会や内面観察の機会を得たように思ってる。
感じ方は人それぞれだけど、
どのくらい心に定着したかで、それから後の世の中の見え方が違ってくるように思う
人生の節々で読み直すと、違った味わい発見があるんだね。
昨日夜中に、引っ張り出して少し読み直してみた。
ちょっと微かな閃光が走った。
薄れ掛けていた、光に久しぶりに会えて、とてもうれしかった。
おぼしき事言わぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝ、あぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。
思ったこと言わないでいると、ストレスが溜まるから、筆に任せてどうでもいい慰みごとを書いてるだけ。だから、破り捨てたらいいよ。ヒトに見てもらうほどのもんでもないんだし。
執着をすてて、趣くままに撮る。
たぶん日々の写真は、まさにこの心境。。。
意味あるものを生み出しているわけじゃないけど、撮りたいから撮るだけ。
生きているということは、望むと望まざるとにかかわらず、感じると言うことだって聞いたし。
ツールは変化するけれどヒトの心を動かす原動力は、時代を超えて同じ
吉田兼好はアルファブロガーだったんだろうな
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